関関同立の大学生が「壊れるまで」バイトする事情 母も祖母も高卒で「大学に行く」感覚がなかった

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高校3年の9月、第1志望だった学部学科の指定校推薦に手を挙げた。真帆さんは学年トップクラスだったので、校内選考は文句なしで通過した。飲食店のアルバイトで稼いだお金で受験料を払って合格通知を受け取った。

「家族からはおめでとうとか、よかったねとか当然、言われないです。入学納入金だけは母に渋々払ってもらって、もうあとは一切援助しないって釘を刺されました。人に迷惑をかけて、すごく悪いことをしているみたいでつらかった。自分で奨学金の予約、アルバイトも増やして進学準備をしました」

第1種奨学金5万3000円、第2種奨学金8万円、月に13万3000円を借りた。奨学金から1年後期と2年前期の授業料を払った。大学1年が終わったとき、1年間で借りた金額が159万6000円になっていた。

「1年間借りてあまりに大きな額だなと思いました。4年間借りるのはリスクがあると思って、バイトを頑張ろうって方向転換しました。結婚式場とか塾講師、飲食店をいくつも掛け持ちして、授業以外は全部バイトするみたいな生活。キツイけど、しょうがなかった。そうしたら世の中がコロナになって、働きたくても働けなくなった。学費を稼ぐのは不可能な状況になりました」

退学するか「夜のバイト」に手を出すか

疫病蔓延によって勤労学生の道も閉ざされた。大学2年の夏、母親は再婚。母親の言う「新しい家族」に消極的だった真帆さんは、追いだされる形で一人暮らしが始まった。

「コロナ禍で学費だけじゃなく、生活費も稼げって状況になりました。退学するか、思い切って夜のバイトに手を出すかの二択を迫られました。いくら考えても、その2つしか選択肢がない。追い詰められて、夜の仕事を始めることになりました。なんの経験もないし、なにも知らないし、なんの情報もないまま飛び込みました」

真帆さんが従事したのは、数ある夜職のなかでも過酷な1つだ。過酷な夜職は女性に人気がなく、なにも知らない困窮する未経験女性が誘導される傾向がある。面接官に事情を話すと「手っ取り早く稼げる」と、その部門を薦められた。なにもわからないので頷いた。

「いまならば絶対にやらないけど、そのときはお金のことで追いつめられていたのでやりました。母親に何度も大学は自分でって言われていたので、なんとかしなきゃって焦りがあった。学費の延納制度も、結局後回しになるだけなので意味がないと思っていました。コロナ禍で働けないなかで、お金がなくて毎日、毎日不安な気持ちを抱えていた。早く楽になりたかった」

店から言われた仕事を必死にこなした。すべてが初めてのことで、日々を乗り切るだけで精いっぱいだった。

「向いてないこともないかなって。精神的に削られていたところもあるけど、お金がなくて不安な気持ちを抱えるよりマシでした。お客さんのデータを仕事終わりにメモしていた。こういう内容で、こんなこと話したとか。前回、こうでしたねとか。そういうことをしていたら、お店が評価してくれたのか、収入的にも安定して気持ちを切り替えれば頑張れました」

しかし、ある日、朝起きたら気分がどん底なことがあった。授業や仕事の時間が迫って、起きなきゃならないとわかっていても、カラダが動かない。理由もないのに悲しくなって涙が止まらなくなる日もあった。いままで経験のないカラダの異変だった。

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