3ページ目(青文字部分)の分析をまとめると、以下のようになります。
「性差別」が放置されたままの日本社会
ろくでなし子さんの事件で、同様に逮捕された北原みのりさんは、女性向けアダルトショップを経営している方です。著書『アンアンのセックスできれいになれた?』(朝日新聞出版)の中で、顧客の女性たちを観察しながら、『an・an』の描き方がどう受け手の女性に消費されてきたかを年代別に追っており、すでに私のこうした分析の何歩も先を行っています。
『an・an』のDVDの穏やかな描写を見ていると、女性向けに比べて男性向けのものは、なんと愚かなものなのだろうと情けなく思えてきました。とにかく激しい性交渉が行われて、女性はそれに満足していることになっており……。
これは女性が「満足」しているのではなく、男性の「自己満足」が反転して描かれているだけなのです。そしてこんな誤解が、日々の性関係の中で解かれることなく放置されているのだとすれば、それこそ性差別が、その関係の中で放置されていることになるはずです。
「個人的なことは政治的なこと」。この議論がまだ決して色あせたものではないことを、現代日本のポルノグラフィーの男女差は語っています。その意味でも、女性向けポルノグラフィーという形で女性側の要求が立ち上がっていることは、やはり肯定的に考えるべき事象だと言えるでしょう。
目の前にいる女性が、満足した「ふり」をしているだけ、というのは、男性にとって「悪夢」なのかもしれません。しかしそれは、女性にとっては「すでに悪夢」である以上、男性は相手の声に耳を傾けること、そして女性は「ふり」の裏側にある思いを伝えること、ここからしか問題は解けていかないはずなのです。
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