「個人的なことは政治的なこと(The personal is political.)」。男女間のような個人の関係の中にも、差別のようなポリティクスが存在する、と暴いたのは、1960年代後半以降の(第2波)フェミニズムの運動です。女性参政権運動が中心となった19世紀から20世紀初頭にかけての第1波フェミニズムとは異なり、この運動の中では、家庭内での性役割分業、夫と妻との権力の非対称性といった、それまでは「個人の問題」「個々の家庭の問題」と考えられていたものに焦点が当たりました。
個人的なことは政治的なこと
そうした家庭の中での男女をめぐる力学にこそ、性差別の原点があると主張され、したがって「個人的なこと」は決して単なる「個人の問題」ではなく、「あ、私も同じ悩みを抱えている」という形で、「政治的な問題」として問題化されるようになっていったのです。
その中には、性の問題も当然含まれていました。男性の性欲の客体でしかなかった女性が、自分の性をどのように表明し、要求していくか。その具体的な係争点のひとつは、当然、自分にとって親密であるはずのパートナーとの性関係です。こうして初めて、女性の側からの性の問題が立ち上がり、男性のそれと対峙するということになったわけです。
女性向けポルノグラフィーといえば、日本ではかつては、レディースコミックが中心でした。大手系の比較的性描写を抑えたものに対して、1990年前後から中小の出版社が性描写を前面に出したものを出すようになりました。
そうした古株の代表格が、『コミック・アムール』(マガジン・マガジン)。この雑誌はインターネットの発達もあって発行の頻度が減っているようですが、『危険な愛体験Special』(サニー出版)は「スペシャル」と言いながら月刊です。いずれも付録にDVDが付いており、女性向けの商品として一定の市場を持っています。
関西大学の守如子さんの『女はポルノを読む』(青弓社)の分析に触発されて、レディースコミックを大量に買ってゼミで分析をしていたことがあるのですが、男性向けの商品との違いは一目瞭然でした。
3ページ目では、具体的な違いについて少し詳しく論じていこうと思います。必然的に、性的に露骨な表現が含まれますので、差し障りがある場合は、4ページ目に直接飛んでください(キュレーションサイトなどでお読みの場合、青色の文字の箇所「ポルノグラフィー:男性向けと女性向けの違い」から先の9段落分を飛ばして読んでください)。それでも、論旨は伝わるように書いています。
ちなみに、これが前回言及した「ゾーニング」です。表現を規制するのではなく、見たくない人の目に触れないように工夫ができるという意味で、オンラインの「ページ区切り」というのはなかなか便利なものだと、この原稿を書きながら考えたりしました。
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