15両編成や複々線化も?京葉線が秘める「潜在力」 貨物線として計画、各地に不思議なスペースが

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京葉線はもともと、川崎市塩浜から東京湾の臨海部を経て木更津に至る貨物線として計画された。現在の京葉線にあたる区間では、1975年に蘇我―千葉貨物ターミナル(廃止)間が開業。だが、産業構造の変化や都市化の進展によって京葉線の旅客輸送を求める声が高まった。

『停車場技術講演会記録 第27回』(日本国有鉄道建設局、1977.8)に収録の「総武開発線計画について」(国鉄東京第一工事局調査課・林良一氏)によると、京葉線は貨物線と位置づけられ、並行して旅客列車用の線路として「総武開発線」を造る構想であった。

総武開発線は、蘇我から新木場までは現在の京葉線と同様で、新木場からは現在の国際展示場駅付近まで進んだのち北西へ進路を変え、現在の環二にほぼ並行した形で地下を進み新橋へ至るルートが構想されていた。新橋駅は2面4線で計画され、そこからさらに赤坂見附、新宿、そして三鷹へ至り中央線への乗り入れが想定されていた。

実際には、1978年に蘇我―西船橋間については貨物から旅客化への変更が認可され、貨物と旅客の複々線にはならなかった。この際、同区間では駅部分の高架橋を追加発注している(『京葉線工事誌』による)。そして1983年には、西船橋―新木場間の旅客化と新木場から東京への乗り入れルートが認可された。旅客輸送は、1986年3月に西船橋―千葉港(現・千葉みなと)間で暫定開業。1988年12月には新木場―蘇我間が開業し、1990年3月に蘇我―東京間が全通した。

ホーム延伸や「線増」を考慮

このような経緯をたどって現在に至る京葉線だが、複々線や15両編成に対応することを念頭に置いたことがうかがえる構造は、今もいたるところで見られる。

まずは蘇我駅付近だ。国道を跨ぐ「寒川架道橋」は、『京葉線工事誌』によると「将来の線増(複々線化)を考慮」した構造という。

千葉みなと駅ホームの蘇我寄りに立つ柱(筆者撮影)

千葉みなと駅の上り線ホーム蘇我寄りには、ホーム延伸が可能な柱が存在する。中線と下り線の間にあるホームも蘇我寄りに延伸できる形だ。稲毛海岸駅も、ホームの端はさらに付け足せるような構造がある。また、同駅と検見川浜駅の間には、高架に並行してさらに複線分を通せる幅の用地があり、現在は駐車場などに使われている。

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