グローバルM&Aによる事業拡大には世界レベルでの経営戦略を策定する仕組み作りが重要--松枝寛祐・大陽日酸会長
80年代に海外展開がスタート
当社の沿革を振り返りますと、設立は1910年。今年が創業100年に当たります。創業当時は、酸素はすべて外国からの輸入品で、吸入用酸素が中心だったと言われています。当社は設立の翌年の1911年より酸素の国産化を開始し、その後、酸素を作るプラント事業にも進出していきました。1950年代に入ると、今までボンベによる供給をしていた酸素などを液化してタンクローリーで供給する「液化酸素の時代」に入り、液化酸素による大量供給の時代を迎えます。そして60年代には、鉄鋼、石油化学工業など大規模使用ユーザーに対して、隣接地にプラントを設置しパイプラインで大量供給するという「オンサイト方式」による事業も開始されました。
そして80年代が、当社の海外展開が始まった時代です。80年代初頭の日本酸素(現大陽日酸。もともと3社だったものが合併し、2004年に大陽日酸発足)の売上高が1500億円未満であったのに対し、メジャーと呼ばれる欧米の産業ガスメーカーである、Union Carbide Corporation社、British Oxygen Company社などは総売り上げで当社の5~15倍、産業ガス事業だけとっても2.5~3倍の差がありました。当時、当社の主要顧客である鉄鋼、石油化学業界を中心に国内市場の成長が鈍化、新たなオンサイト供給方式を導入できるコンビナートの新設もなくなり、成長の頭打ち感が出てきました。また、欧米の産業ガスメーカーの日本への本格参入が始まったのもこの時期でした。日本企業の多くが、円高リスクの低減と主に人件費のコストダウンを目的に、生産拠点の海外移転を始めており、このような大きな流れの中で、当社は生き残りを懸け、「市場を求めて」海外進出を開始したのでした。
まず当社は、アジアではシンガポールに駐在員事務所を開き、アメリカではカリフォルニアのロサンゼルス近郊に現地法人を設立し、主に現地の産業ガス市場についての情報収集を開始しました。
その情報を基に、82年にシンガポールにNational Oxygen社を設立しました。このときは、われわれの出資比率は35%で、5社による合弁でした。一方アメリカでは、83年にエレクトロニクス向け特殊ガスでは当時世界一であったMatheson社を、当社の持ち分が50%という割合でアメリカの会社と共同で買収しました(※同社は89年に100%子会社化)。
88年になりますと、マレーシアのIndustrial Oxygen社(IOI社)に30%の資本参加を行いました。当時マレーシアでは外資規制があり、当社が過半数をとることができないということで、パートナー企業を探して一緒に進出するという形をとらざるをえない時代でした。
そして90年代に入りますと、92年にアメリカのTri−Gas社を100%買収し、その後タイ、フィリピン、台湾、ベトナム、中国などへの進出を果たし、2000年以降も引き続きアメリカを中心に数多くの買収を重ねてきました。