池上彰が読み解く「イスラム国の真の姿」 「過激テロ国家」という認識は思い込み?!
第二次世界大戦後、東西冷戦の中にあって、西側先進国の若者たちに魅力があったのは「社会主義」でした。しかし、当時のソ連や中国の実態が伝わるにつれ、既存の「社会主義国家」に失望した若者たちは、過激な組織へと傾斜します。彼らが目指した地は、やはり中東。ただし、イラクやシリアではなく、パレスチナでした。
世界各地から集まる若者たち
イスラエル建国によって故郷を追われたパレスチナ難民の中から誕生した過激組織(たとえばPFLP=パレスチナ解放人民戦線など)には、世界各地から若者が馳せ参じました。日本からは赤軍派が参加。「日本から来た赤軍」という意味で「日本赤軍」と呼ばれました。彼らは、1972年、イスラエルのロッド空港で無差別テロを決行。民間人ら100人以上が死傷するテロ事件を引き起こしました(彼らが日本赤軍と呼ばれるようになるのは、この事件の後)。
当時の日本は、安保条約の自動延長に反対する学生運動が、1970年を境に急速に衰退。学生運動参加者の中に閉塞感が強まっていました。彼らにとって、中東で「人民のために戦う」という組織は、とても魅力的に映ったのです。
しかし、東西冷戦が終わり、イラン・イラク戦争や湾岸戦争などを経て、中東情勢も様変わり。パレスチナ自治政府が誕生したものの、パレスチナ人の自治組織は、ファタハとハマスに分裂し、かつてのような影響力を失いつつあります。
そして現代。「社会主義」は無残な失敗に終わり、ソ連から変わったロシアや中国は、古典的な帝国主義丸出しの戦略を打ち出し、西側先進諸国のひんしゅくを買っています。
その一方、「社会主義」に勝ったはずの資本主義国も、新自由主義の下、格差が拡大し、人々の不満は高まっています。
社会主義も資本主義もダメ。中東の既存のパレスチナ人組織も信用できない。そんな八方塞がりを打破してくれそうだと人々に期待を持たせたのが、「アラブの春」でした。チュニジアの独裁政権を倒した民衆の民主化運動は、瞬く間にエジプト、リビアに飛び火。次々に独裁政権を打倒し、遂にシリアにまで到達しました。
しかし、シリアのアサド政権はしぶとく、ロシアやイランの後押しもあって、容易に倒れることはありません。その間に、リビアは内戦状態となり、エジプトも軍事クーデターで軍事政権に逆戻り。若者たちは、再度絶望することになったのです。
こうなると、シリアとイラクの双方で反政府活動を展開する「イスラム国」こそが、最後の希望になってきます。
では、「イスラム国」とは何者なのか。それをいち早く解き明かしたのが、この本です。「イスラム国」とは、単なる過激派の集団ではありません。それは、グローバリゼーションと最新のテクノロジーによって成長した「国家」なのだと著者は指摘します。彼らの「近代性と現実主義」が、これまで成功してきた理由です。
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