日本のポピュリズムは、日比谷焼き打ち事件(1905年)に淵源を持ち、普通選挙実現(25年)の頃に始まった。
日露戦争の講和条約に反対する国民大会が暴動化して起きた日比谷焼き打ち事件は、吉野作造(よしのさくぞう)(戦前、東京帝大政治学教授)が「この事件を以(もっ)て『民衆が政治上に於(おい)て一つの勢力として動くという傾向』が日本において始まった」としているように大衆の巨大な力が最初に現れた事件であった。これがどのような方向に流れていくのかは、当時誰にもわからなかった。
しかし大正末期になると、それは普通選挙において新たに爆発してくる。大衆が圧倒的に政治参加してくるこの時期、普通選挙に勝つため多大に必要となった政治資金をめぐる不正が度々行われた。
また、反対党の不正を暴き、新聞に掲載されることが相手の大きなダメージになるので、暴露合戦が熱心に行われた。中でも、遊郭の移転問題や陸軍機密費問題など、大衆の目を引きやすい問題は熱心に追及され、疑獄・買収・乱闘などの政党政治の弊害は、国民に知れ渡った。
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