坂之上:どなたでしょうか。
松崎:小坂徳三郎さんです。自民党のニューリーダー、「安竹小」(注:安倍晋太郎、竹下登、小坂で「安竹小」と呼ばれた)ということで、要は総理総裁候補のひとりでした。
小坂さんは、結局総理にはなれませんでした。小さな派閥は率いていたが、本当に小さかった。今でも私は尊敬しています。利権関係はいっさい手染めるなと、それを秘書に徹底していました。小坂さんは資金力のバックボーンをちゃんと持っていたんです、信越化学工業の創業家でしたから。
そういうおやじさんに付いて、選挙のときは政策を話さなければならない、って言われた。おやじさんのために政策をずーっと勉強したのが今ものすごく生きています。
地方政治でしかこの国を支えられない
坂之上:そこから、なぜ地方政治に?
松崎:カネのために平気で裏切るような裏の世界をたくさん見てしまった。正直言って、こいつらいったいなんなんだ、と思いました。偉そうなことを言っていてひどすぎるな、と愛想を尽かして、県会議員に出たんです。
要はもうこの国は溶けると思った。能力のない人間がカネの力で総理総裁になったのが本当におかしいと思ったんですね。それで県議になった。地方からでしかこの国は支えられないと思ったんです、心から。
で、実は浦安でなんの地縁も血縁もないのに手を挙げちゃったんですよ。無謀にも。
坂之上:生まれも育ちも、浦安ではない?
松崎:違うんです。昭和51年、25~26歳のときにここに来たんですよ。まだ女房のお腹が大きい頃にこの浦安に初めて入りました。私は海が好きで、その頃は趣味でダイビングをやっていた。それで、磯の香りが好きで、女房は大反対したんだけど、もう来ちゃった。その中で青年会議所をやり、PTAを作り、自治会を作り、いろいろとやっているうちに、もうここから先は政治家になるしかないんだなと思ったんです。
地方では政策の議論が欠けていた
それと同時期に永田町にすっかり嫌気がさしていた。こんな汚い、信義もないようなところで、先生、先生と呼ばれている人間ってなんだろうと思って、本当に嫌になったんですね。でも、地方議会に行ったときには、また大きなショックを受けました。なんだ自民党って全然、政策の勉強をしてないじゃないか、と。
坂之上:地方では政策の議論が欠けていた、と。
松崎:そうなんです。知れば知るほど共産党の政策って間違っていないと思ったんですね。
坂之上:あれ? みたいな感じですか(笑)。
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