福島で進む「被災者のリタイア」に見た根深い危機 原発事故と向き合ってきた現場に世代交代の波

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廃炉作業が続く東京電力の福島第一原子力発電所(代表撮影)

東日本大震災から11年が経つ。10年ひと昔、とはよく言ったもので、東京電力福島第一原子力発電所の事故と発生直後から向き合ってきた現場にいま、世代交代の波が静かに押し寄せている。

「去年の11月で終わったんだぁ。年金も少しばかぁもらって、いまは働かないでいる」

聞き覚えのある福島弁が耳に響いたとき、それが作業現場からの離職であり、同時に原発の呪縛から解き放たれたことはすぐにわかった。

彼と私が出会ったのは、東北の太平洋沿岸を大津波が襲った数日後のことだ。当時は原発が制御不能に陥り、原子力建屋が相次いで水素爆発を起こすなど、予断を許さない状況が続いていた。

私も避難指示の出ていた原発から20キロ圏内に入るなどして、事故発生直後の周辺取材を重ねていた。そこで地震発生当時に下請けの作業員として福島第一原発の中にいた彼を知った。

地震のときは定期点検中のタービン建屋にいた

58歳だった彼は、定期点検中だった5号機のタービン建屋の中にいた。突然の揺れは2分ほど続いた。揺れはじめと同時に、上から埃が舞い落ちてきた。あたりが真っ白になったと思った次の瞬間、建屋内の電灯が一斉に切れて非常灯がつく。揺れが収まっても、あたりは真っ暗で何も見えない。建屋内にいた下請けや孫請けの作業員30人ほどが懐中電灯で互いの無事を確認し合う。

屋外に出ると、幅10センチほどの地割れが走っていた。地面が隆起しているところ、なかったはずのところに段差ができているところもあった。

作業員はすべてそれぞれの施設から出て、敷地内にあるグラウンドに向かう。そこで部署ごとに点呼をとって、そのまま解散となった。

「月夜だったんだ」

それからのことを語った彼の言葉は、いまでもよく覚えている。

「電気もつかずに真っ暗だったんだけど、月が道を照らしてたんだ」

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