円高、不均衡是正に政治は真剣な議論を
「Absolute Gain」。米国が基軸通貨国として長らく堅持してきた基本原理である。基軸通貨国のメリットを享受しつつ、世界の繁栄を追求する。国際通貨制度上の共存を念頭に置く高邁な理念といえる。だが、米国経済の悪化はその実現の困難さを高めた。
経済悪化の度合いが著しい局面になるや、米国は崇高な基本原理を放棄したかのように振る舞った。全体が劣悪な事態にある中で、自らは相対的に劣悪さの軽い方向を目指す。「Negative Gain」という政策発想である。
引き続きドル安の公算
第2次世界大戦後、米国の最初の変わり身は1971年8月15日のニクソンショックまでのドル安局面で起きた。当時、ドル安に悲鳴を上げた欧州諸国、日本などに対して、コナリー財務長官はこう言い放った。
「ドルは自国通貨だが、ドル安問題はあなたたちの問題だ」
今や、歴史的な名文句である。ドル安容認姿勢が鮮明化され、ドル切り下げへとつながった。
それから25年ほどが経過して、再び、変わり身劇が演じられた。94年から95年に至る過程のことである。
95年4月19日、円相場が史上最高値、1ドル=79・75円を記録したのは、クリントン政権下で94年末まで経済政策を担ったベンツェン財務長官が「ドル安よりも円高を希望する」と断言し、その政策を強めた結果にほかならない。
そうせざるをえないほど、米国経済が深刻な悪化を来したからこその発言であり、クリントン大統領も経常赤字の膨張に直面して「貿易不均衡の是正には円高が効果的である」と明言、円高・ドル安を助長させた。