日清紡が103年目の「再出発」、太陽電池製造装置を軸に多角化《新「本業」で稼ぐ》
一方、05年の新日本無線の株式買い増しによる子会社化を機に開始されたエレクトロニクス事業(半導体)は、終戦後に旧大倉財閥の頼みで無線通信機器メーカーの日本無線グループへ出資したことが契機だ。
実は、これまで繊維産業から半導体素子・集積回路の生産へ参入した主要事例は片倉工業・グンゼ・旧カネボウ・日清紡・トーア紡コーポレーション・旭化成と6社。うち片倉工業が98年、旧カネボウが05年に撤退し、残るは4社。しかも、液晶タッチパネル向け制御用半導体という社内需要が支えとなるグンゼを除くと、半導体の外販メーカーは3社のみ。その数少ない繊維メーカーによる半導体分野への多角化事例の一つが、日清紡傘下の新日本無線が手掛ける半導体分野なのだ。
順調に多角化を進めていた同社だが、リーマンショックによる打撃はやはり大きかった。09年3月期は当期利益で赤字に沈み、繊維は10年1月、インドネシア生産を主軸とし、国内生産は大幅に縮小する再構築の計画が発表された。
さらに期待の太陽電池製造装置にも事業環境激変の大波が襲いかかった。太陽電池製造装置は、自動車業界の汎用機シフトに伴う専用機の需要減退と板金加工機の競争激化に直面していた同社が97年に開発を開始、翌98年から10年間は米国スパイア社からの技術導入で育成してきた注力分野である。
米国系調査会社VLSIリサーチによれば、今10年の世界市場は前年比17・2%増の90億ドルつまり約8000億円規模。日清紡が手掛ける後工程(モジュール)向けはその約1割の市場と目され、同社はこの分野の大手。だが、近年の海外における需要の急速な拡大、それと同時に進行する低価格化競争は、想像を絶していたのである。
「材料メーカーとの協業、製造装置そのものの技術開発、装置納入先へのあるべき太陽電池モジュールの提案という、三つの方面に及ぶ事業戦略の見直しが必要」。太陽電池製造装置を手掛ける精密機器の事業子会社、日清紡メカトロニクスの中野裕嗣社長は語る。
日清紡は、太陽電池モジュールの出力を検査する「ソーラシミュレータ」で国内シェア約9割。表面のガラス・充填材・光電変換素子(太陽電池セル)・裏面材などを加熱・圧着する封止装置「モジュールラミネータ」も同6~7割に及ぶ。