源頼朝に打倒平氏を決起させた「謎の怪僧」の正体 父・義朝のドクロを使い、懇意になったとされる

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後白河の第3皇子・以仁王の令旨よりも、法皇の院宣のほうが権威に優るし、頼朝挙兵の正当性を高めるものであるから、院宣が存在したならば、必ずや記述するはずだ。平家追討の院宣が新発見されない限りは、このときの院宣発給はなかったとするのが妥当であろう。

神護寺だけでなく、東寺の復興にも尽力

さて、苦難の道を歩んだ文覚であるが、失敗続きだったわけではない。罪を許されてからは、神護寺の復興に一段と尽力。法皇や源頼朝の援助を受けつつ、寺の復興に邁進する。そして、建久元(1190)年には、神護寺はほぼ完成、法皇が訪問されるという光栄に浴している。文覚は神護寺のみならず、京都の東寺の復興にも力を注いでいる。

ところが、法皇が崩御(1192年)し、頼朝も没する(1199年)と、支援者を亡くした文覚は、政争に巻き込まれて、佐渡国に配流となってしまう。建仁2(1202)年には許されて京都に戻るが、後鳥羽上皇から謀反の疑いをかけられ、対馬に流罪となる。その途上で病没したといわれる。

何度も流罪になり、赦免されてきた文覚。まさに波瀾万丈の生涯を送ったといってよいだろう。その経歴を見ていたら、どのような困難に陥っても、くじけず、自らの思うところを実行していく意思の強さのようなものを筆者は感じる。

悪く言えば頑固、懲りない、よく言えば、情熱的で実行力があると言えよう。そうした人物だからこそ、数々の寺の復興という大事業をなすことができたのである。

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