ニュータウンの中心「多摩センター」と街の半世紀 入居開始時は「陸の孤島」、今は3路線が乗り入れ

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私鉄にとって、未発展の地に路線を敷いても鉄道運賃だけでは建設や車両の費用は賄えない。事業を成り立たせるには鉄道建設と地域開発はワンセットで、駅周辺の商業施設や住宅といった開発を伴ってこそ、トータルで収支をプラスにできる。多摩ニュータウンの住宅開発から実質的に排除された京王・小田急が、新線の建設に消極的な姿勢へと転じるのは当たり前だったと言わざるをえない。

鉄道路線の建設をはじめインフラ整備の遅れは、新住民の怒りに火を点ける結果を招いた。地元の多摩市は政府や東京都、日本住宅公団といった開発事業者に対してニュータウンの宅地開発・分譲を一時的に中断するように要請する。

他方、早期に新線を建設したい政府は1972年に日本鉄道建設公団法を改正。鉄道建設公団は国鉄の新規路線を建設することを目的にした特殊法人で、それまで私鉄の路線を建設することはなかったが、法改正によりP線方式と呼ばれる手法で私鉄の路線建設ができるようになる。建設した路線は25年間の分割払いで償還されるというスキームを組めるようになった。

ついに2本の鉄道が開業

こうした措置を講じて、ようやく住民が待ち望んでいた京王よみうりランド駅―京王多摩センター駅間が1974年10月に開業した。一部に短いながらも暫定的に単線区間が残り、ダイヤに支障をきたしたものの、都心部まで電車1本で移動することが可能になり、通勤時間は大幅に短縮された。

小田急も京王よりやや早い同年6月に、新百合ヶ丘駅―小田急永山駅間を開業。同路線は多摩線と名付けられ、同時に本線である小田原線との分岐駅となる新百合ヶ丘駅も開設された。多摩ニュータウンにつながる初の鉄道だったが、朝の通勤時間帯のごく一部を除いて多摩線の電車は新百合ヶ丘駅までの折り返し運転で、不便な状態だった。

多摩センター駅で顔を並べる小田急線(手前)と京王線の電車(編集部撮影)

多摩センター駅は京王が1974年、小田急が翌1975年に駅を開設。多摩ニュータウンの玄関となることを期待されたが、開設が遅れたこともあり駅周辺には商業施設がまったくなかった。周辺住民は日々の買い物のためにバスで聖蹟桜ヶ丘駅まで出るか、鉄道で永山駅の商店街へと足を運ばなければならなかった。

これらの不便を解消するべく、多摩センター駅にバスターミナルが併設され、バス路線網が整備された。しかし、急ごしらえのターミナルは仮設だったこともあり、行政や鉄道事業者は多摩センター駅の本格的な整備を迫られた。

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