ニュータウンの中心「多摩センター」と街の半世紀 入居開始時は「陸の孤島」、今は3路線が乗り入れ

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多摩センター駅の開業と駅前整備は、多摩ニュータウン開発の一区切りとされる。しかし、その後も開発は続いている。

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1983年には八王子市内の多摩ニュータウンで入居が始まった。このときは、かつて諏訪・永山地区が陸の孤島と化した反省を踏まえて、京王相模原線を多摩センター駅から南大沢を経て橋本駅へと延伸する計画が早い段階から進んでいた。それでも工事は遅れ、1988年に京王は南大沢駅までようやく開業。橋本駅までの開通は、さらに約2年の歳月を要した。小田急も多摩センター駅から先、唐木田駅まで1駅の延伸は1990年で、多摩センターまでの開業から25年後だった。

こうした経過を見ると、多摩ニュータウンの鉄道建設は終始にわたって後手後手に回った印象を抱かせる。そして、それは2000年に立川北駅―多摩センター駅間が開業した多摩都市モノレールも同じだった。

モノレール開業、そして現在へ

同モノレールの計画は、美濃部亮吉都知事が1971年の都知事選で公約に掲げた“広場と青空の東京構想”に端を発している。同構想は理念的な政策のため抽象的な内容が多いものの、それをかいつまんで表現すれば、東京都心部への一極集中を是正するために多摩エリアに開発リソースを振り分けるというものだった。そのために、東京23区を中心にしたエリアとは別に立川・八王子を中心にした多摩連環都市の開発が急務とされた。実行役には建築家の浅田孝が起用された。

美濃部都政に端を発した多摩都市モノレールは、2000年に立川北―多摩センター間が開業。町田駅方面への延伸計画が進んでいる(筆者撮影)

多摩連環都市をつくるべく、多摩都市モノレールの計画が浮上。しかし計画は簡単には進まず、関係27市町による多摩地域都市モノレール等建設促進協議会が1982年に発足。これにより、建設のスピードアップも期待された。それでも度重なる計画変更の影響もあって思うように開発は進まず、多摩センター駅までの延伸開業は2000年まで待たなければならなかった

分譲開始直後の1960〜70年代は、20~30代の若い夫婦が新天地を求めて多摩ニュータウンへと引っ越してきた。同じ世代の人たちが集中したことから、平成期以降は急速に高齢化。ニュータウンをもじって“オールドタウン”と揶揄されることもあり、行政課題にもなった。

それでも多摩ニュータウンはさまざまな困難を乗り越え、問題を解決しつつ現在も発展を遂げている。多摩センター駅は、名実ともにニュータウンの中心となっている。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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