新庄剛志「僕ほど空気を読む人は見たことない」 空気を読んだうえで“新庄色"にもっていく
なんでもかんでも昭和的だからダメというわけじゃないんです。昭和的だからおもしろい、昭和的だから若者にも伝わりやすいこともあると思います。
だから僕は、自分のなかの昭和を大事にしています。無理やり時代に合わせようとは思っていません。
野球だけでなく、あらゆるスポーツ、そしてそれ以外のことも同じだと思います。例えば、今の世の中は、効率的ないいやり方が求められていて、理不尽にも思える昭和的なハードトレーニングは避けられる傾向があります。しかし、何かの道で突出した存在になるためには、やはり猛烈な努力が必要だと思うんです。本当は努力という言葉すら使いたくありません。なぜかというと、僕はそういった自分の積み重ねを努力だと思っていないから。努力ではなく日常。がんばっているつもりはなかったんです。
夜中まで練習したタイガースの若手時代
タイガースの若手時代、球団の練習施設には、ほかの選手が来る2、3時間前に行って施設の担当の方に鍵を借り、自主練習をしていました。ほかの選手が来る時間になったら、いったん外に出て、今来ましたという顔で合流していたんです。チーム練習が終わったあとも、着替えて施設を出て、みんながいなくなってからまた戻って練習です。若くて金もないから遊びにも行けないし。そのぶん夜中まで練習していました。
ちなみにタイガース時代、僕と同じくらい練習していたのは、後輩の藤川球児くんだけでした。いずれすごいピッチャーになるだろうなという予感があったけど、そのとおりになりました。彼もきっと自分は努力したとは思っていないはずです。当たり前のことを当たり前にやっただけだと。自分の“当たり前”をどのレベルまで上げられるか。そこが一流になるかどうかのひとつの分岐点だと思います。
自分はがんばっていると思っているなら、まだ足りない。努力を努力と思わないくらいのところまでやって、ようやくスタートラインに立てたと言えるんです。
もちろん、今の若い子たちに僕がやっていた昭和的なやり方をすべて強制するつもりはありません。ただ、そのなかには結果を出すために必要な要素もたくさんあると思うんです。昭和的なやり方と新たなチャレンジをうまく融合していくことで、“新庄流”の指導スタイルを作り上げていく。これが僕の理想です。
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