被災鉄道、なぜ山口県は早期復旧できたのか ローカル線は不通が長期化すると苦しい
ではいったい、どのような経緯を経て早期復旧に至ったのであろうか。山口県の土木建築部や商工労働部交通政策課でうかがった話を中心にまとめていこう。
山口県はいかにしてローカル線復旧を手助けしたか
まず、先行事例となった美祢線の経緯を追えば、山口線、山陰本線の復旧への道のりも見えてくる。3線は同様の考え方で山口県が支援策を講じ、早期復旧へとつなげているのだ。
美祢線では、被災から約1ヵ月後の2010年8月11日に行われた定例記者会見で、二井関成山口県知事(当時)が早々に、JR西日本本社へ副知事を派遣して早期復旧の要望を伝えており、災害復旧工事と並行して復旧後の利用促進策を検討して行くと、明らかにした。これがまず、大きな後押しになったと思われる。
トップの意志が表明されたことで県としての方針が明確になり、かつ利用状況が厳しい路線に対して、地元自治体が利用客数増加を支援する姿勢も示されたことで、JR西日本としても復旧後の経営改善も期待できる、イコール「安心して復旧費用を拠出できる」ということとなったのだ。
JR西日本サイドからは、経営状況をかんがみると「美祢線は廃線もありうる路線である」との意向が示されたとも伝えられた(後に否定)が、地元の素早い動きが、美祢線の"復活"を約束させたと見ていいだろう。
美祢線における最大の被害は、湯ノ峠~厚保間にある第3厚狭川橋梁の流出であったが、この川を管理する山口県としては、川幅の拡大も同時に行い治水対策を施す必要があった。そこで基本とされたのが、2004年の大水害で5つの橋梁が流出した、JR西日本越美北線の事例である。これも復旧までほぼ3年を要した災害であった。
越美北線被災時に打ち出されたのが、「仮想原形復旧」という考え方だ。河川の改修は自治体(福井県)、橋梁の再建は鉄道事業者(JR西日本)の負担である原則は変わらない。しかしその際、橋梁の復旧費用は、川幅の拡幅などの改修を行わない、つまりは流出前の「原形」を復旧すると仮想した場合の費用分のみの拠出を求め、鉄道事業者の負担を軽減するという仕組みである。
鉄道橋があった場所の川幅が治水上の理由から広がれば、そこに橋梁を掛けようとすると、当然、元の橋より長くなって、原形通り復旧するより費用負担は増える。鉄道会社にとっては予定外の大きな出費で、保険ではまかなえない部分でもある。これを避けようというスキームであった。
この福井県と越美北線の事例が、美祢線ひいては山口線、山陰本線にも適用され、同じ考え方で復旧されたのであった。
JR西日本と山口県、および山口線の被災箇所があった島根県も加わって協定が結ばれ、県は補正予算を組み、実際の工事はJR西日本に委託。美祢線では山中にあり寄りつく道路がなかった、第3厚狭川橋梁付近まで建設された工事用道路も、橋梁再建と河川改修の両方の工事で共用するなど、便宜が図られている。
山口線の被害は、第4~第6阿武川橋梁の流出や土石流の線路内への流入など、美祢線より大きかった。観光路線の不通は地元にとって打撃が大きく、いち早い運転再開が望まれたのも当然である。ここで、美祢線の経験が生きた。
2013年7月に被災した当時の山本繁太郎山口県知事は、やはり美祢線と同様、県とJR西日本とが協力して復旧に当たることを確認。それを表明したことで、復旧への後押しとしている。
素早い意志表示は、工事期間への配慮でもあった。山口県では、河川改修工事を行う際、5月から10月を「出水期」、11月から4月までを「非出水期」と定め、川の中での工事は非出水期にのみ行えるとしている。少なくとも橋脚の建設は、この6ヵ月間に完了させなければ中断となり、次の非出水期へ繰り延べとなってしまう。
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