一方、兄の周囲で病気のことを知っている人はだれもいなかった。兄が亡くなったとき、残された携帯の中の情報を頼りに友人たちに連絡をしたところ、口々に「知らなかった」「話してほしかった」と驚かれたという。
なぜ兄はそこまでかたくなだったのか。今となっては正確なことはわからない。ただヨウヘイさんにはこんな記憶がある。
兄弟は一時期、同じ就労支援施設に通っていた。ある日、施設を仕事で訪れていたとみられる同じマンションの住人と偶然出くわしたことがある。以来、兄はその住人と顔を合わせることを極端に嫌がるようになった。マンション内でその姿を見かけると、陰に隠れて通り過ぎるのを待っていたこともあったという。
病気を知られたことで、トラウマになるような差別や偏見にさらされた経験が、もしかしたら兄にはあったのかもしれない。
兄弟と母親の3人暮らし、生活は楽ではなかった
根底には性格の違いもあったとヨウヘイさんは思っている。当時、すでに父親は亡くなっており、兄弟と母親の3人暮らし。母親の年金は月10万円ほどで、生活は楽ではなかった。いずれは生活保護の利用も考えなければという話になったとき、兄は「生活保護を受けるくらいなら死んだほうがいい」と言い切ったという。
ヨウヘイさんは「僕は生活保護のことはいざ受けるとなったときに考えればいいと思っていました。僕が心配するのは少し先の未来のこと。それに比べて兄はすごく先の未来のことまで考えては不安になっていました」と分析する。
本連載では、たびたび生活保護利用者に対する不見識なバッシングについて取り上げてきた。この間、「生活保護には不正受給が多い」「生活保護利用者は怠け者、さもしい」といった根拠のないデマを垂れ流した著名人や政治家たちは、自らの発言がだれかを死に追いやる“凶器”にもなりえることを自覚したほうがよい。
ヨウヘイさんは現在、精神保健福祉士の資格取得を目指している。いつか自身の経験も踏まえ、引きこもりの人たちへの情報発信や自死遺族との交流に携わっていきたいという。「統合失調症や双極性障害は脳の機能障害。その人の責任ではないし、気の持ちようでどうにかなるものでもない。そのことを社会に広く伝えたいし、当事者にも知ってほしい」。そう語るヨウヘイさんの心にはつねに兄の存在がある。
兄の死後、ヨウヘイさんは、兄が携帯に多くの散文詩や俳句などを残していたことを知った。ヨウヘイさんは母とともにそれらを編集、作品集としてまとめた。その作業は残された家族にとっての癒やしにもなったという。
作品からはサクラやセミといった生物が毎年命をつないでいくことへの憧れ、底知れない孤独、苦しみの中でも生きる意味を見いだそうとする自尊心が伝わってくる。希死念慮よりも、人生を生き切った気高さがあった。
12月のある日、兄は都内のマンションから飛び降りた。その日、こんな句を詠んだ。
「小春旅 人生のよに 廻り道」
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら