ヨウヘイさんによると、兄は相手の女性に病気のことを打ち明けないまま結婚した。ヨウヘイさんは女性には申し訳ないことをしたとしたうえで「兄は主治医にも相談したうえで、打ち明けないという選択をしたようです。当時は精神分裂病から統合失調症へと呼称が変わったばかり。(今以上に根強い偏見を考えると)言えなかったんだと思います。でも、正直に話していないせいで規則正しい服薬もできなかった。結局症状が悪化して病気のことも知られてしまい、離婚することになってしまいました」と説明した。
離婚について、兄は生涯にわたって後悔を抱えていたようだという。ヨウヘイさんは、ずいぶん後になってから兄が「僕の夢は(元妻と)一緒に年を取って縁側でお茶をすすること。ただそれだけだったんだけどな……」とつぶやいた姿を忘れられない。
いったい何が兄弟の生死を分けたのか
兄は勤続5年を機に無期雇用契約となった。雇用は安定したが、賃金は最低水準のまま。会社側からは建築の専門知識を生かして床の張り替え作業などを任されたこともあったが、待遇に反映されることはなかった。月収は10万円ほど。
兄は「(職場では)物覚えが悪くて」と落ち込む一方で、「障害者雇用ではいくらがんばっても最低賃金。これが定年まで続くのか……」と複雑な面持ちでこぼしていたという。
それでも、いわゆる自殺願望を頻繁に口にしていた一時期と比べると、メンタルは安定しつつあるようにみえた。ウーバーイーツ配達員に登録をしたり、台風被災地にボランティアに出かけたりもしていたという。「兄なりに自分の居場所を探していたんだと思います」とヨウヘイさん。
しかし、家族がそんなふうに安堵しかけていた矢先、兄は死を選んだ。
ヨウヘイさん兄弟には共通点が多い。20代で精神疾患がわかり、一般雇用から障害者雇用への移行を余儀なくされ、その過程で貧困状態になった。いったい何が兄弟の生死を分けたのか。
ヨウヘイさんは兄とは一つだけ違いがあったという。「僕は親しい友人に病気のことを話していました。でも、兄はだれにも打ち明けることができなかったようです」。
先に書いたようにヨウヘイさんは新聞社を退職後、深刻なひきこもり状態になった。友人とも一切の連絡を絶った。そんな中、久しぶりにSNSに「外に出たいな」と書き込んだ。だれかに救いを求めるような気持ちだったとヨウヘイさんは振り返る。すると10年以上会っていなかった幼馴染から連絡があり、食事をすることになったのだという。
ヨウヘイさんは初めて疾患のことや仕事を辞めたことを打ち明けた。幼馴染はただ「そうだったんだ。大変だったね」と返してくれた。ありのまま受け入れられた――。そう感じたヨウヘイさんは、次第に親しい友人たちには病気のことを話せるようになったという。
「病気のことを知ったら、みんな離れていくのではないかと思い込んでいました。ひきこもりから脱するきっかけをくれた幼馴染には感謝しています」
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