経営も同じこと。目標を立て、その達成のためには、どのような理念で、考えで取り組むか、そして、そこから具体的な目標も出てくる。そういう方針を立てること、それを実行したことによって、松下幸之助は、経営において成功を収めることが出来た。
だから、政治を「国家経営」と捉えていた松下が次のようにつぶやくのもうなずいて頂けるだろう。
昭和57年(1982年)10月の日曜日であった。
「この頃の日本の様子を見ておると、つくづくと、このままでは日本の社会はダメになると思われてならんわ。なんといっても政治があかん。昔は、商売人は商売やっとればよかったけどな。今はそうはいかん。政治抜きに商売、考えられんくなったな。政治の出来、不出来が、そのまま商売、国民の生活にひびく。そういうことやな。
一応、日本の経済というのは、それなりにええわけや。世界のなかで、もう日本の品物はこれ以上来てもらったら困るというほどになったわな。問題は政治や。政治が一番あかんな。どこが悪いかと言うと、目標があれへんわけや。ハッキリと、国民に目標を示さない。どこへ行くのか、どこへ日本をもっていこうとしているのか。だから、国民は、なにをやったらええのか、わからん。そこに問題があるわけや。
たとえば、どこかに行く、と。それだけではどうしたらええのか、わからんわな。当たり前や。どこへ行くということが決まれば、飛行機で行くとか、汽車で行くとか、それが決まる。そういう目標がなければ、なんも決まらんわな。ただ、どうしようかと迷うことになる。今の日本がそうや。東京に行くなら、東京に行くんやと。名古屋に行くなら、名古屋に行くんやと。そういう目標やな。国としての目標、なぜ、そういう目標を掲げんのや。目先のことも大事やけど、目標を示さんとね」
目標が心を一つにさせる
政治は、国民に、「坂の上の雲」を示せというのが、松下幸之助の主張であった。小説『坂の上の雲』で司馬遼太郎は、鎖国封建の時代から、近代国家に目覚めた日本が、富国強兵、殖産興業を目指して、列強に伍するべく、明治の青年たちが懸命に登って行った風景を、感動的に描き、多くの読者の共鳴を得た。戦後も、敗戦の廃墟貧困のなかから、「アメリカに追いつき、追い越せ」という目標を目指して、国民が互いに切磋琢磨、高度経済成長を達成し、繁栄を実現した。
しかし、現在は、なにを目指せというのか。国民の心を一つにする目標がないではないか。
目標を明確にすることの急務を、松下は、歴史を振り返りながら、政治家に求めたのである。
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