――撮影隊はどんな感じでした?
検討させていただきたいということで、その時は写真を撮られたりしてお帰りになりました。それから監督さんに写真を見せたり、イメージスケッチを作ったりして、検討なさったようです。6週間ぐらいたった後にまた電話をいただいた。今度は監督をはじめ大勢でいらっしゃいました。そこでホビット村としてここを使うのはどうだろうかと再検討なさった結果、交渉がスタートしたということです。
――いきなり映画の撮影ですと言われて、気持ち的にすんなりと受け入れられたんですか。
そうですね。すべてがいっぺんに始まったわけではなく、いろんなプロセスを踏んで実現したということです。もちろんお話がきてからいろんな質問をさせていただきました。映画の撮影をすることで、どういった影響があるのかということも重要でした。当時は羊も1万2000頭ぐらいいましたし、それ以外にもたくさんの家畜がいたので、いわゆる撮影と農場経営がちゃんと同時並行できるのか。そういったことをきちんと確認しなければいけませんでした。
手つかずの自然が残っていたのが決め手
――そうした話し合いはスムーズに行ったのでしょうか。
3カ月間ぐらいいろんな話し合いを行ったんですが、撮影隊の方たちも皆さん感じの良い方たちでしたし、交渉というよりは、どうしたら撮影が成功するか、お互いに協力し合いながら話し合ったという形だったと思います。最終的には1999年3月に契約を結ぶことになりました。その後、8カ月間ほどかけて、いわゆるホビット村を建設し、そこから撮影が始まりました。
――撮影で農場を貸し出した範囲は、所有する土地の何%ぐらいだったんですか。
広さで言うと1%ぐらいですかね。わたしたちの農場はトータルで1250エーカー(東京ドーム約108個分)くらいあるんですが、実際の撮影に使っていたのは12エーカーほどなので、われわれの農場の大部分が撮影に占められたというわけではなかったですね。
――われわれが考える以上に大きなスケールの牧場なんですね。
われわれの農場を選んでくださった理由の一つは、ニュージーランドの手つかずの自然がそのまま残されていたということだったようです。
また、ピーター・ジャクソン監督もニュージーランド出身ということで、ニュージーランドに対する特別な思い入れもありますし、何よりもやはりこのニュージーランドの素晴らしい自然ですよね。おそらく他の世界のどの国でも撮影できないような美しい自然や景観を映画のために提供できますから。ホビット村がある北島もそうですし、南島にもいろんな川や渓谷、山など、撮影場所として最適な素晴らしい自然があります。
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