スカイツリー以前、この駅は何度か名前を変えている。1902年の開業時には吾妻橋駅といい、1910年には浅草駅を名乗っている。まだ東武の電車が隅田川を渡ることができなかった時代で、ここが都心のターミナルだった。宿願かなって1931年に現在の浅草駅が開業すると業平橋駅に改称した。
戦後になると構内に日本初の生コンクリート工場ができ、東京の復興・経済成長を支える役割も果たした。それが2012年にとうきょうスカイツリー駅に改めて、いまやすっかりスカイツリーの玄関口になっている。スカイツリーライン120年の歴史の中で、いちばん激変した駅といっていい。長らく、東武鉄道の本社も業平橋にあった。
「なので、私にとってはこの区間でいうと本社のある場所、という印象が強いんです。私は15年間本社で働いていましたから、どうしても(笑)」(湯澤さん)
これは浅草駅長で浅草駅管区長の飯塚和浩さんにも共通している。
「私は北関東の育ちなので、浅草は観光地という印象です。東京に遊びに行くならまずは浅草駅に行って、そこを起点にどこに行こうか。昔の特急は浅草から下今市までノンストップで走っていましたからね。入社してからは……やっぱり本社のある場所。2021年10月に赴任したばかりなので、まさに勉強中です」(飯塚さん)
なお、あまり知られていないが、とうきょうスカイツリー駅からは、浅草駅へ向かう上りの特急列車のみ、特急料金不要で乗車できる(個室を除く)。
高架下の東武博物館
そんな本社のおひざ元、いまではスカイツリーの足元を抜けて、曳舟駅を経るといよいよ各駅停車しか停まらないゾーンに入る。最初は東向島駅だ。高架の駅で、高架下には東武博物館が入っている。東向島駅を含む曳舟―北千住間の各駅を受け持っているのは、曳舟駅長の岩波光浩さんだ。
「駅の周りはほんとに昔ながらの下町といった感じですね。ただ、最近はお客さまも増えているんです。コロナ禍であっても増えていまして、近くにマンションや住宅がどんどんできて。下町な感じがありつつ、都心に出るのにも便利というのがいいのかもしれませんね」(岩波さん)
この東向島駅、ホームの駅名標や駅名看板には「旧玉ノ井」と刻まれている。実際、1987年までは玉ノ井という駅名だった。1902年に白鬚駅の名で開業後、一旦休止を経て1924年に改めて玉ノ井駅として開業したのである。
玉ノ井は、浅草寺の裏手にあった私娼街が大正時代に移転してきた花街だった。大正から昭和の初めごろにかけては大いににぎわっていたという。玉ノ井駅として現在の東向島駅が開業したのはちょうどそんなころ。1928年には京成白鬚線も開業するなど、下町の花街として栄えていた。戦争で空襲被害を受けたこともあってさすがに当時の面影はだいぶ薄れたが、それでも一部には戦後のカフェー建築が残り、散策路になっている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら