ノーベル賞、「3人同時受賞」の深い意義 閉塞感の出口を目指すための"松明"に
やはり3氏が同時受賞した2002年の武田賞の受賞講演で、天野教授は赤崎研究室の門を叩いた理由をこう述べている。
「これは多分私のまったくの思い違いだと思いますが、当時の大学の研究というのが、我々若い人間から見ると、どうしても研究というよりも研究のための研究、あるいは研究費をもらうための研究、というような感じを受けてしまったんですね。あるいは学位を取るために仕方なく研究しているというように非常にうがった見方しかできなかったんです。当時、とにかく何かにチャレンジしたいと思っていた私は、赤崎先生の研究室で掲げている青色発光ダイオードというテーマを見たときに『これだ!』と思ったんですね。これはまさに、未来のための研究、研究本来の研究であると直感しまして、即座に先生の研究室のお世話になったわけです」
そして当時、難題だった窒化ガリウムの結晶を成長させる装置に工夫と改良を重ね、ついに世界初の青色LED開発に成功した。だが、天野教授の挑戦はそこで終わりではなかった。その後の実用化に向けて試行錯誤を重ねていく。そして当時、意識していたのが、まったく同じ分野で成果を出し始めていた中村教授の存在だった。
青色LEDの輝度を高めるため、窒化ガリウムにインジウムを添加する実験。当初うまくいかなかった天野教授は「中村先生がちゃんとできますよ、非常に明るいですよということを発表されて、じゃあといってやり直してみると、今度はできちゃう」ことを経験した。
それは「何かをやるときに、必ずできると信念を持ってやるのと、ダメだろうなと思ってやるのとの違いを、この時ほど痛感したときはありませんでした」という教訓として語っている。
研究と実益のバランス
一方の中村教授も同じ武田賞受賞後の講演の中で、赤崎研究室の成果を常に意識していたことを隠していない。いわく、「先にやられた」「ショックを受けた」「こりゃまいった」。その上で、天野教授に対してはこんなエールを送っている。「天野先生みたいな若い人が、ベンチャーをやるようなシステムにしないとダメだと思う」。
互いを刺激し合うライバル関係。研究と実益の両面を追求するバランス感覚。それらが天野教授と中村教授の間で共鳴し合い、世界を圧倒する結果につながっていたのではないだろうか。
いま、日本の大学は基礎研究一本だけでは許されず、かといってアメリカの大学のようにベンチャーを次々と生み出す土壌が育っているとも言いがたい。ノーベル賞学者を続出させていることになる名古屋大学でも、若い研究者からは「昔のように大らかに基礎研究に専念させてもらうのはもう無理」という声もあれば、「国の研究費に寄りかかるだけで、ベンチャーなどを通じて研究成果が社会に還元されない」と両面で嘆く声が聞こえる。
今回の「3人同時受賞」という快挙を、こうした閉塞感の出口を照らす"松明(たいまつ)"にしなければならないだろう。
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