巨大ターミナル「新宿」を迷路駅にした数奇な歴史 古くからにぎわった東口、浄水場だった西口

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開国したばかりの日本には、西洋から多くの品が輸入されていた。そのため、日本から海外へ金銭が流出。不安を抱いた政府は、海外へ製品を輸出することで外貨獲得を目指した。しかし当時、海外製品に太刀打ちできる「メイド・イン・ジャパン」はなかった。

政府は勝てる産品を調査したところ、生糸にたどりつく。日本鉄道は群馬県の富岡製糸場で生産された生糸を迅速に横浜港へ輸送することで、生糸の輸出に貢献した。しかし、同鉄道の上野駅と官営鉄道の新橋(後の汐留)駅―横浜(現・桜木町)駅間は線路がつながっておらず、上野駅まで運ばれた生糸はいったん荷下ろしされ、再び新橋駅で鉄道に積み込まれていた。これでは時間がかかり、手間や人手も必要になる。輸送費も高くなってしまう。

そうした積み替えのロスをなくすには、日本鉄道と官営鉄道の線路をつなげるしかない。だが、上野駅―新橋駅間には江戸時代からの街があるので鉄道を建設できない。そこで日本鉄道の赤羽駅から線路を分岐させて、品川駅へとつながる短絡線が計画された。この線を建設した際に、途中駅として新宿駅が誕生した。

駅周辺には牧場が

平たく言えば、新宿駅は上州と横浜をつなぐ路線建設の過程でついでに開設されたことになる。駅の開設場所は、利用者が多く見込めるから決まったわけではない。江戸時代から人の往来がある甲州街道・青梅街道との交点だからといった積極的な理由ではなかった。

現在の新宿駅周辺。手前が西口側(撮影:今井康一)

開設されたばかりの新宿駅周辺は、のどかな風景が広がるだけだった。1889年に甲武鉄道(現・JR中央線)が新宿駅―立川駅間を開業させたが、それでも駅周辺には牧場が広がり、とても繁華街とはいえなかった。ちなみに、文豪・芥川龍之介の実父は渋沢が箱根で経営していた耕牧舎という牧場で働き、この頃に牛乳の生産・販売ノウハウを学んだ。そして、新宿に牧場を所有している。

新宿駅界隈が繁華街として多くの人が行き交うようになるのは時代が大正に移った後だが、それでも人があふれ、店が並んでいたのは東口だった。

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