徒然草が教える「何かを成し遂げたい人」への言葉 「その日」は思いがけない形でやってくる

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徒然草が教えてくれることとはーー?(写真:bee / PIXTA)
兼好法師の『徒然草』は、日本古典文学の名著のひとつ。今回、作家で国文学者の林望さんが、全243段の新訳を『謹訳 徒然草』として出版した。そこで『謹訳 徒然草』から選りすぐりの3つの段を全文公開。
2回目は【第155段】。物事を成すときは時運が大事、チャンスを生かすことが物事の成就を左右する。しかし、時運ばかりを見ていてはいけないと兼好さんは言う。さて、その理由とは?

【第百五十五段】世俗に順応してゆこうと思う人は

世俗に順応してゆこうと思う人は、まずものごとの潮時ということを知らねばならぬ。時運にかなわぬことは、人の耳にも入りにくく、また心にも行き違ってしまって、結局その事は成就せぬ。そういう意味で、なにかを為すべき潮時というものを心得なくてはならぬ。

ただし、病を身に受けること、子どもを産むこと、死ぬること、これらのことは潮時もなにもあるものではなく、いつやってくるか分らないし、まだその潮時ではないと思ったところで、中止することもできぬ。

万物が生れ、命を保ってやがて老い、病などの異変に遭い、しまいに滅びる、とそのように移り変わるという絶対の重大事は、たとえて申せば、激流の河が轟々と漲り流れているようなものである。

ほんのわずかの間も滞ることなく、ただただまっしぐらに発現してゆくものだ。されば、仏道修行者にせよ、世俗の身にせよ、必ず成し遂げようと思うことは、時節だ潮時だなどということを言うべきでない。これらのことについては、あれこれ用意しておくこともできぬし、足を踏み留めるということもできない。

春が暮れてから、その後に夏となり、夏が終ってから秋が来る……とそういう次第のものではない。

春になればまもなく夏の気配を催し、夏が来ればすなわち秋の気配が通って来る。秋はたちまちに寒くなり、十月には小春日和とて春めいた日がやってくる。そうすると草も青くなり、梅の蕾も生じてくる。

木の葉が落ちるということも、まず葉が落ちて、それから新芽が出てくるという順序ではない。まだ葉がしっかりとあるうちに下から新芽が萌し膨れてくるのに堪えられなくなって、葉は落ちるのである。やがて迎える季節の気を、表には見えぬところに設けてある故に、これを待ち受けて替ってゆく順序ははなはだ速い。

『謹訳 徒然草』(祥伝社)。書影をクリックすると、アマゾンのサイトへジャンプします

人間の生れ、老い、病み、死ぬ、ということの移り変わる事はまた、こうした自然のありよう以上に速やかである。四季の循環には、なお定まった順序がある。

しかし、人間の死ぬべき時は、順序よくやってくるというわけではない。死というものは、前のほうから目に見える形でやって来るとは限らぬ。じつは、我等がなにも気付かずにいるうちに、はやくも後ろのほうに迫ってきているのだ。

人は誰でも死がある事を知っている。しかし、その死を待ち受ける気持ちは、だれも今日や明日に来るとは思っていないが、突然思いがけない形でやって来る。

あえて申せば、沖のほうの干潟がまだまだ遥かに見えているのに、足もとの磯にいつのまにかひたひたと潮が満ちてきている、というようなものである。

林 望 作家・国文学者

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はやし のぞむ / Nozomu Hayashi

1949年東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得満期退学(国文学専攻)。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。『イギリスはおいしい』(平凡社・文春文庫)で1991年に日本エッセイスト・クラブ賞、『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』(P.コーニツキと共著、ケンブリッジ大学出版)で1992年に国際交流奨励賞、『林望のイギリス観察辞典』(平凡社)で1993年に講談社エッセイ賞、『謹訳 源氏物語』全十巻(祥伝社)で2013年に毎日出版文化賞特別賞受賞。

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