あらためて役割が問われる「何も知らない」社外取締役
第一に、設立までの過程が不透明だった。当初、銀行設立の中心人物は、ノンバンク、オレガ社の社長(当時)、落合伸治氏であり、「中小新興企業融資企画」を設立し、銀行設立に動いた。
木村剛氏はそのコンサルタントを務めただけだったにもかかわらず、銀行の設立準備会社は木村氏のオフィスに設けられた。誰が銀行設立の責任者なのかが不明確だった。通常、考えられないことと言っていい。
現に、銀行設立前後から内部はゴタついた。主導権争いの様相も呈した。そのたびに、木村氏はコーポレートガバナンスの専門用語を駆使して自己正当化し、同銀行が「日本一厳しいコーポレートガバナンス」を誇っていると自画自賛。
たとえば、落合氏は取締役、執行役を退き、発足1年目の04年度には早くも内紛劇へと発展した。落合氏が「内部資料の漏洩」を行ったという理由で、設立メンバーの多数は、当時、取締役だった木村氏の側につき、落合氏を懲戒解雇処分とした。レベルの低いドタバタ劇だったが、このとき、なんと、木村氏は記者会見でこう説明した。
「今回の問題はガバナンスがダメだったからではない。むしろ、内部でウヤムヤにしなかったという点で、当行はガバナンスがきちんとしていることが明らかになった」
居直り、強弁も甚だしかった。
日本振興銀行のビジネスモデルは、定期預金で資金を集め、それを原資として「ミドルリスク」の中小企業向け融資に回すというものだ。