ビートルズの「3人目」決定までのもどかしい経緯 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter4

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ポールはジョージを評して、いい意味で「生意気」なやつ、と呼んだ。それでもジョンは、「ジョージは若すぎる」と言って聞く耳を持たなかった。

「最初はあいつのことが気に入らなかったんだ」とジョンはのちに語っている。

「ポールはあの童顔のせいで10歳くらいに見えたし、ジョージはそのポールよりもさらに若かったからね」

とあるライブののち…

1958年2月6日、クオリーメンは、ウィルソン・ホールでエディー・クレイトン・スキッフル・グループというバンドと競演することになった(バンドのリード・ギタリストはクレイトン、ドラマーはリンゴ・スターだった)。

ライブが終わると、ジョンは遊びに来ていたジョージをたきつけた。

「クレイトンみたいにギターが弾けるなら、お前をバンドに入れてやってもいいぜ、ってジョンに言われたんだ」とジョージはのちに回想している。

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ポールはこのときも、ジョージを応援した。

「いけよジョージ! 見せてやれ!」

このオーディションを、ジョージはいとも簡単にパスした。

「『ローンチー』を弾いてみせたら、ジョンがバンドに入っていい、って言ってくれたのさ」

ジョンは、ジョージが「僕たちよりもずっとたくさんのコードを知っている」ことを認めざるをえなかった。

14歳のガキと一緒にいるところを見られるのは、やはり少し恥ずかしかったが、ジョージの参加でバンドがより強力になったことにジョンは心から満足していた。

「これで、3人そろった」とジョンは思った。

ジェイムズ・パタースン
James Patterson

1947年米国生まれ。犯罪ものや心理ものを得意とする社会派で、
『ニューヨークタイムズ』紙のベストセラー1位を数多くの書籍で獲得している。デビュー作の『ナッシュヴィルの殺し屋』でエドガー賞を受賞。
ほかにもエミー賞、国際スリラー作家協会賞などを受賞しており、著作は150点以上に及ぶ。2019年にはNational Humanities Medal(米大統領から贈られる賞)を獲得した。翻訳された作品には他に『大統領失踪』『殺人カップル』などがある。映画化された作品も多い。自論は、「本嫌いの人などおらず、ツボにはまる本に出会っていないだけだ」。

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