懐かしい「子供番組」の歴史で見えたテレビの課題 動画配信時代に埋没しないために必要なこと

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1950年代、映画会社5社(松竹・東映・東宝・大映・新東宝。のち日活も参加)はいわゆる「五社協定」を結んでいた。これはもともと日活による所属俳優引き抜きを防止するための協定だったが、テレビの台頭によって性質が変わった。1956年にテレビへの劇映画提供を打ち切り(1958年に日活も)、テレビは自身の企画で、出演者も自前で探さなければならない状況となった。

そんななか、初の本格的テレビ映画として、日曜午後7時からの「タケダアワー(武田薬品の1社提供)」30分枠で「月光仮面」(1958年・ラジオ東京テレビ)が生まれた。男の子たちはチャンバラごっこと同様に月光仮面ごっこに興じたうえ、ケガをすることも多かったという。前年の評論家・大宅壮一らによる流行語「一億総白痴化」を補強するような熱狂ぶりだ。

「月光仮面」と並び称される「七色仮面」(1959年・NET)は、変身ヒーロー・特撮ものの元祖といわれる。NETには東映が資本出資しており、その関係で東映テレビ・プロダクションという別会社が設立されていた。演技陣はいわゆる映画スターではない(第2部主演は千葉真一)ものの、ごく初期を除いて、映画会社は結局テレビ制作に深くかかわり続けるようになる。

東映テレビはこの後も、雑誌『少年画報』に連載されていた「白馬童子」(1960年・NET)を山城新伍主演で放送。テレビがスターを生む構造も、このあたりから顕著になる。

「タケダアワー」枠が送り出した「ウルトラQ」

1社提供が一般的だった時代に、「タケダアワー」枠は円谷プロダクション制作の「ウルトラQ」(1966年・TBS)を送り出した。次作の「ウルトラマン」(同)などの大ヒットにより、特撮は主要なジャンルとなる。

一方、「ジャイアントロボ」(1967年・NET)で特撮ものに挑み、タケダアワー枠ではスポ根(スポーツ根性)もののはしりとなった「柔道一直線」(1969年・TBS)をヒットさせた東映は、「仮面ライダー」(1971年・毎日放送=NET系列)を送り出す。

日曜午後7時30分からの「不二家の時間」でも、TBSはヒットを飛ばす。アニメからドラマに軸を移してから、「サインはV」(1969年)や「美しきチャレンジャー」(1971年)といったスポ根ものが人気を博す。また月曜午後7時30分からの「ブラザー劇場」枠からは「コメットさん」(1967年・1978年)、「刑事くん」(1971年)、「刑事犬カール」(1977年)が生まれた。かつての異名“ドラマのTBS”は子ども番組も含めたものであったといえるのではないだろうか。

1972年、NHK総合では「少年ドラマシリーズ」が、NHK教育では「中学生日記」が始まった。小学生高学年もしくは中学生向けで、子ども向けドラマと一般ドラマの隙間を埋める役割を果たしたといっていい。「少年ドラマ」第1作は、筒井康隆のSF小説『時をかける少女』が原作の「タイム・トラベラー」だった。

この枠はかなり意欲的で、その後は純文学(伊藤左千夫『野菊の墓』)からミステリー小説(松本清張『高校殺人事件』が原作の「赤い月」)まで幅広く、90以上の作品を送り出し、1983年に終了した。学校生活そのものを題材にした「中学生日記」は2012年まで40年続いた。

このほかにも「チャコちゃん・ケンちゃんシリーズ」(TBS)や山中恒の小説を原作にした「あばれはっちゃくシリーズ」(1979~1985年・テレビ朝日)も子ども向けの代表的ドラマとして挙げられるだろう。だが、現在では子ども(少年世代)が主役を演じる番組そのものもほとんど見ることはなくなってしまった。 

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