――でも、前に家はいらないと言っていた……。
え、言ったっけ? いらないわけないでしょ、いるわよ!
――家はそのうちでいいと。
ああ、それは、私の考え方は一般的な中国人とは、ちょっと違うところがあるから。1990年代の終わりに、高校の同級生が北京近郊にある100平方メートルの家を20万元で買ったとき、月収は夫婦合わせて2000元だった。貯金もないから、親戚中からおカネを集めて頭金にし、残りはローンを組んで、毎月、月収の半分の1000元をローンの返済に充てていた。
それは中国人の一般的な家の買い方だけれど、私には、彼女はすごく虚栄心が強いと思えた。ちょっといい家に住むために、一族のおカネを全部かき集めて、そのうえ、巨額のローンを組むなんて、自分はそんな選択はしない、一生懸命仕事をして、いつか自分たちの力で家を買えるようになったら買おうと考えていた。
でもそういう考えの者は、今の中国では、家を買うチャンスを永遠に失う。この十数年で不動産価格はべらぼうに高騰した。彼女たちが買った20万元の家は、今では200万元になっている。
――でもその家に住み続けているかぎりは、額面的な数字が上がっているだけともいえるのでは?
そうなんだけれど、私たちのようにマイホームを持たない者にとっては、たとえ彼らの家が20万元のままであったとしても、彼らには財産があり、自分たちには何もない、彼らは有産者で、自分は無産者という気持ちになる。中国人はそういう考え方がすごく強い。
おまけにそれによって、成功しているかいないかが評価される。まず、聞かれるのは「家を買ったか」ということ。あるいは「家はどこ?」と問われる。そこでもし「持ち家はない」と答えたら、その人は私を貧乏人に分類するでしょう。しかも普通の貧乏ではない、とんでもない貧乏。
自分の心情的にもだいぶ違ってくる。家を持っていることで、一種の「安全感(安心)」を持てる。
1年我慢したのが運命の分かれ目
――しかし日本ではバブルで、不動産価格は一時暴騰したあと暴落したことがあった。必ずしも安心といえないのでは?
私たちのように家を持たない者は、そうなってほしいと心から願うわ。でも中国の不動産バブルははじけると言われ続けて、結局、はじけていない。そして自分たちの努力でマイホームを買おうと思った私たちは、逆に時代の発展によって見捨てられたとみじめな気分を味わっている。どれだけ努力しても、発展のスピードに追い付けそうにない。
――でも、小梅のだんなさんの収入で、まったく買えないということはなかったでしょう?
それはそう。実際、新婚のとき、夫は家を買うつもりだった。その頃、彼には40万元の貯金があって、目星をつけた北京近郊の家は53万元だった。ちょうど2008年の金融危機で、不動産価格が下がっていた時期だった。当時、交通の便がよい市内でも、1平方メートル1万元程度にまで下がり、130平方メートルの部屋が130万元になっていた。
それで夫は、あと1年頑張れば、来年、貯金は50万元くらいにはなる、マンションの価格ももう少し下がるかもしれない、そうなったら現金一括で買おうと言っていた。私もそんなに急いで無理して買う必要もないと思っていた。
でもその1カ月後に130万元の部屋は300万元に跳ね上がったし、私たちが買おうと言っていた53万元の家は、翌年、100万元になった。いくら年収がアップしても、せいぜいプラス10万元程度なのだから、これでは、どうやっても追いつかない。
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