渚カヲルが何者か掴めない人に知ってほしい視点 碇シンジをめぐる3人の父たちは何を象徴するか
このような、父と母との象徴性について、『スキゾ・エヴァンゲリオン』(1997)で庵野秀明はこう説明していた。
「(村上龍『愛と幻想のファシズム』は)エディプス・コンプレックスの話ですけれど、僕もこれ(『エヴァ』)をスタートする時同じだなと思った」「ロボット──ということで置き換えることはしたけれど、オリジナルな母親はロボットで、同年代の母親として綾波レイが横にいる。実際の父親も横にいる。全体の流れをつかさどるアダムがもう1人の父としてそこにいるんです。そういう多重構造の中でのエディプス・コンプレックスなんですよ。やりたいのはそこだった」(p86)
アダムは「もう一人の父」である。新劇場版で、カヲルは第1の使徒と設定されており、アダムだとは断言できないが、それに近い存在だろうと推測させられる。
『シン・』で、シンジは「カヲルくんは父さんと似ているんだ。だから、同じエヴァに乗っていたんだね」と言う。ゲンドウにはピアノが好きという設定が新たに加えられている。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』での2人の連弾のシーンを思い出してもいいだろう。そしてカヲルとゲンドウは、同じ13号機を操縦している。
理想的な「母」と理想的な「父」
だから、「渚司令」とは、ゲンドウとカヲルの重ね合わせを示唆するためのシーンだと理解するのが良いのではないか。
綾波レイが14歳の姿をとった理想的「母」の役割だったのと同じように、カヲルは理想的な「父」なのである。本人を幸せにするために、メタ視点から世界を見下ろし、アドバイスし、手助けする役割を新劇場版4部作でのカヲルは担っている。
「人類補完計画」に夢中なゲンドウにはなかった、ポジティヴな父性を表現する役割が、加持とカヲルに担わされている。3人の「父」において、ゲンドウは絶望を象徴し、カヲルは超越的な視線としてシンジを見守る希望を象徴し、加持は地上の生命を生かすために這いずり回るという対比がある。
『エヴァ』世界は、このような「多重のエディプス・コンプレックス」構造を、象徴も含めた様々なレベルで繰り広げている。とすれば、『シン・』が様々なレベルで家族や親子、生命や継承の主題を描いているのは、TV版からの必然であったと理解することもできる。
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