在任16年の独メルケル首相とは何者だったのか 人権と環境という相反する思想を実現した政治家

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メルケル、オランド、ブレアなどの世代は、「プラハの春」や「フランス5月革命」を思春期に体験している世代である。彼らは総じて、社会主義に憧れつつも、強権的、秘密主義的体制の社会主義に不満を持っていた。「人間の顔をした社会主義」を求めた世代である。

その世代の政治家の多くは、1国を越えた、インターナショナルな世界に対して嫌悪を持たない。だからこそそれが逆に、国民国家の中でぬくぬくとしていた左派政党の体質に対する不満として爆発し、グローバル化を叫ぶ新自由主義に接近する可能性をつくっていた。そして環境問題の重要さを、身をもって体験した世代であり、彼らは人間の自由と環境保護という問題に対して、関心がきわめて高い。

メルケルが16年間で行った成果について、ある評論家は「東ドイツの逆襲だ」という。確かにロシアや東欧への関係の拡大という点ではそうだ。いやむしろプロシアの逆襲というべきかもしれない。まず移民を受け入れ、原子力発電から自然エネルギーへの変換、人権の保護、民主主義の徹底、新自由主義的なオープンな経済政策、ロシアとの接近などである。

「鉄の女」から「妥協の女」となった理由

グローバリズムと人権重視、一見相矛盾する政策ではあるが、ある意味一貫性はある。それは、人間の自由と環境保護を実現しようとしていることである。東ドイツではこの2つが失敗してしまっていた。その意味で、第3の道としての新しい社会主義を目指す運動がバーロを中心に起こってきたのであるが、それに似ていなくもない。だからメルケルは、東ドイツによる逆襲を果たしたといわれているのだ。

首相になりたてのころ、人々は彼女をイギリスのサッチャーにならって「鉄の女」と呼んでいたが、いつのまにか彼女は、「妥協の女」と言われるようになっていた。しかし、妥協といういい方は言い過ぎで、「リアルな女」というべきかもしれない。彼女の芯には、人権と環境という、旧東ドイツのリベラル派がいだいていた思想があり、それを状況に応じてうまく実現していったというべきかもしれない。

もちろんそれが、極右政党のようなドイツ的国民国家を中心に考える人々には、彼女の政策はドイツの危機だと考えられ、EU中心主義だと考えられるようになり、また労働者の雇用や安定を願う左派からすれば、彼女の自由主義的政策(例えば彼女の前の社会民主党の首相シュレーダーが導入し、彼女がより進めた雇用形態に対する規制緩和のハルツ法)は、反民主的であると見えるのである。同じことはブレア、オランド、メルケル、この世代の人々に共通していえることである。

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