「アメリカは友人」という冷戦の亡霊が残る日本 アメリカ一辺倒は正しい外交戦略なのか

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日米首脳会談の成果は何か。コロナ禍の中の直接対話で日本は何を得られたのだろうか(写真・2021 Bloomberg Finance LP)

2021年4月に、菅義偉首相がアメリカのバイデン大統領を訪問した。昔から大国に対して小国は、朝貢貿易よろしく、大国の元首のもとに出かけ、靴をなめて媚びる必要があった。日本はそれを中国に対して長いこと行ってきたのだが、いまではその相手がアメリカに変わっただけの話かもしれない。

菅訪米と同時に中国と交渉をしていたアメリカ

コロナ禍、ほとんどの元首が自国民を守るために奔走している中で、あえて新大統領への顔つなぎに行ったというのは、正気の沙汰とも思えない。だからこそ、大統領の出迎えもなく、首相の対応はもっぱら副大統領がつかさどり、ほとんど行く前から決まっていた形だけの日米共同宣言で終わった。軽くあしらわれたという結果である。

アメリカのニュースのトップは、菅首相の訪問などではなく、中国と環境問題での協力の合意がとれたというものであった。中国包囲網のために、進んで菅首相がアメリカへのすり寄りを見せる中、大統領のほうはちゃっかりと中国と交渉していたのである。まさに大人の外交というか、したたかな外交である。菅首相との話などはアメリカのメディアの隅においやられてしまった。

もちろん、最初からこれは日本人向けの訪米政治ショーであったのだから、これはこれでいいというかもしれないが、各国首脳が自国のコロナ対策で海外訪問ができない中、わざわざ行くというはた迷惑は別として、大山鳴動ネズミ一匹とのたとえではないが、内容のない訪米であったといえる。いや内容がないのではなく、アメリカの中国封じ込めのお先棒を担がされた点で、これまでにない虎の尾を踏んでしまったのである。

しかし、日本人のこうした大国へ媚びへつらいは、永久になくならない宿痾(しゅくあ)なのだろう。冷戦が終わり、アメリカが日本に対してラブコールを寄せなくなっているにもかかわらず、いまだにアメリカ詣でを続けるというのは、冷戦の亡霊に取りつかれているせいかもしれない。

日本は、原子力発電といい、オリンピックといい、すでに過去に終わった栄華にいまだに酔いしれている。昔の思い出が忘れられないのか、時代が読めないのか、はたまた単なる愚か者なのかわからないが、50年前の外交政策を見ているようで唖然とせざるをえない。

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