在任16年の独メルケル首相とは何者だったのか 人権と環境という相反する思想を実現した政治家

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メルケルは、そうした中で政治舞台に登場する。彼女が最初に入党したのは、DA(民主主義の出発党)であった。その政策は、現在の緑の党に似ている。民主化と環境問題が綱領の内容であった。個人の自由と市場経済を尊重しながら、環境保全を行うという内容は、後の彼女の発想を規定する。しかし、やがてこの党は、東ドイツキリスト教民主同盟と合併する。これには、彼女の父親の影響が大だったとされる。

メルケルは、ドイツ社会主義統一党のエーリッヒ・ホーネッカー書記長の退任以後の東ドイツの全権を担うロタール・デ・メジエールの秘書となる。ソ連に留学経験を持ち、ロシア語が堪能な彼女はゴルバチョフとの交渉などで活躍する。その後、統一した後で彼女はヘルムート・コール首相に支持され、大臣にまで昇進する。それが「コールの娘」といわれるゆえんである。 

1990年のドイツ統一以後、東ドイツ出身者の中にメルケル以上の可能性を持った者もいたが、ことごとくスキャンダルなどで失脚していく。その多くが東ドイツの国家保安省(スタージ)がらみの事件であった。彼女が科学者であり、それまで政治に関与していなかったこともあり、こうしたスキャンダルから免れた。

メルケルはオペラ「パルジファル」の異母姉妹だ

元同僚でオペラの演出家になったミハイル・シンデルハイムはこう述べている。「おそらく彼女は、パルジファルの異母姉妹である」(Gerd Langguth,Angela Merkel,2005.p.270)と。パルジファルとは、ワグナーのオペラの「パルジファル」の主人公パルジファルのことだ。彼は目立たない愚かな若者として登場し、最後には国王になる。シンデルハイムは目立たないベルリンの研究所時代の彼女が首相になったことを、こうたとえたのだ。

おそらくこの変貌について、誰も答えることができない。しかも首相として16年という歳月を全うするなどとは。しかし、ここで彼女を同世代と比較すると、ある種の彼女の姿が浮かび上がる。

なるほど、東ドイツのキリスト教民主同盟と西ドイツのキリスト教民主同盟を同じだと考え、彼女の父が牧師であることをそれに結び合わせると、彼女のきわめて保守的なイメージができあがる。だから彼女にとって東ドイツでの生活は、不満の生活であったのだと。しかし、そうともいえない。彼女は、10代でソ連に留学し、父の社会主義におけるキリスト教の革新的運動にも関心をもっていたし、統一まで東ドイツの存続のために最後まで努力をしていたのだ。

しかし、その東ドイツの未来は、市場経済的社会主義であり、なおかつ個人の自由の尊厳であった。その意味で、彼女の思想は、東ドイツで失脚した新しい社会主義の選択を説いた理論家ルドルフ・バーロの目指したものに近いものだったのかもしれない。

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