Buddyが大ヒット「光岡自動車」はどんな企業か ミツオカの本拠地「富山」で製作過程を見た

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Buddyはどうやって造られているのだろうか。その現場を見るために、光岡自動車の本拠地である富山県富山市に向かった。

光岡自動車は、富山県出身の光岡進氏(現会長)が、地元の日産ディーラー勤務から独立して1968年に創業。当初は中古車販売業で始まり、全国にBUBUチェーンを確立。

オリジナルカーは当時、原付き免許で運転できた小型車「ゼロハンカー」から始め、その後1987年から日系メーカーの市販車をベースとする「ファッションカー」事業に進出した。代表的なモデルは、日産「マーチ」をベースにジャガー「Mk2」のようなデザインに仕立てたビュートだ。

日産「マーチ」の外観をクラシカルなセダンに仕立てた「ビュート」(写真:光岡自動車)

売上高は、2020年12月期の国内グループ実績で278億円、従業員数はグループ全体で480人にのぼる。

売上の内訳では、アウディ、フィアット、アバルト、ランボルギーニ、マセラティ、キャデラック、シボレー、ジープと、2輪車のBMWモトラッド、トライアンフ、ドカティ等の正規輸入車販売事業が、全体の約半分となる48%を占める。

BUBU中古車事業が、正規輸入車販売事業とほぼ同じ売り上げ規模で44.5%であり、Buddy等の開発車事業は7.5%(20億円程度)にとどまる。Buddyの価格は500万円前後なので、現状での受注分600台で売上は30億円。これは、開発事業部の年間売り上げの1.5倍に相当する。

現状では、輸入車の新車と中古車の販売が好調なことで、日本では唯一無二の存在であるオリジナルカーの製造が維持でき、そうした中でBuddyという発想が世に出たといえるだろう。

ミツオカの生産現場へ

さて、開発事業部の本拠であり、光岡自動車として唯一の生産拠点である横野工場(富山県富山市婦中町横野)を訪ねた。

この工場は、神通川(じんずうがわ)に近い田園地帯の一角で創業当初の母屋から、事業拡大によって敷地内の施設が段階的に拡張されていったもので、工場の裏手には、Buddyのベース車となる数十台のトヨタ「RAV4」が並んでいた。

ミツオカ事業部 横野工場 工場長の田林寿規さんと「Buddy」(筆者撮影)

工場長の田林寿規(たばやし としのり)氏によると、開発部門、製造部門、事務関連などで約80人が横野工場に従事しており、多くは富山周辺の出身者だが、新卒採用者は県外からの比率が高いという。

一般的な自動車工場の場合、作業工程は、鋼板をプレス機で打ち出した後、溶接ロボットを使う「ボディ工程」「塗装工程」サブラインでの「部品組み立て工程」、エンジンやトランスミッションを含む「最終組み立て工程」、そして「検査工程」へと進む。

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