なぜ今復権?今さら聞けない「タリバン」の超基本 誕生したのはいつ?アメリカとの関係は?
そして、タリバンが政権を再び掌握すると、女性たちの懸念は根拠のあるものであるという兆候が見られるようになった。
例えば、ロイターの報道によれば、7月の戦闘時にタリバン戦闘員らがカンダハルの銀行で働いていた9人の女性たちに出ていくよう命じ、男性の親族が彼女らの代わりを務めるべきだと言ったという。また今月、北部の都市クンドゥーズで、新たに市の統治者となったタリバンの職員らが、市の職員として働いていた女性たちに対し、仕事を辞めて二度と戻ってくるなと命令した。
「職に就くのが許されないとは本当におかしなことだが、今ではそれが現実だ」とカンダハルの銀行に勤める銀行員の1人は話す。
アメリカとアフガニスタンの関係は?
なぜアメリカはアフガニスタンに侵攻したのか?
タリバンが権力を持っていた頃、オサマ・ビン・ラディンの避難先はアフガニスタンだった。サウジアラビア生まれで、元ムジャヒディン戦士(イスラム聖戦士)だったオサマ・ビン・ラディンは、アルカイダという世界を巻き込む陰謀を企てたテロリスト集団を作り上げていた。
2001年9月11日、このテロリスト集団が、ニューヨークの世界貿易センターのビルを倒壊させ、首都ワシントンのペンタゴンに被害をもたらし、世界を震撼させ、数千人の命が失われた。
当時のジョージ・W・ブッシュ大統領がタリバンに対し、アルカイダとビン・ラディンを引き渡すよう要求したが、タリバンが引き渡しに応じなかったため、アメリカはアフガニスタンに侵攻。アメリカと同盟国は激しい空爆攻撃を行い、反タリバンで結集した連合体「北部同盟」の元ムジャヒディンの集団も加わったことで、間もなくタリバン政権を倒した。生き延びたアルカイダやタリバンの上層部のほとんどが、パキスタンに逃亡した。
20年後、当時のタリバン上層部の一部が、アメリカ軍撤退をめぐるアメリカと取り引きした代表団の中にいた。彼らはこの国の新しい統治者に加わることになるだろう。
2001年の敗戦後、タリバンはどうなったのか
アルカイダを追い詰めるためにアメリカから多額の資金援助を受けているパキスタン軍の庇護と援助を受けて、タリバンはゲリラ的な反乱軍として再編成された。