浅野、白石…なぜ鶴見線は「人名」の駅が多いのか 路線由来の財界人の名、人間関係も垣間見える
工業地帯の中を進み、首都圏の鉄道路線の中でも独特のムードが漂うJR鶴見線。海芝浦駅では東京湾が眼前に広がることから、休日など家族連れやカップルの姿もよく見かける。同駅は東芝エネルギーシステムズの敷地内にあるため、同社関係者以外は改札口から出ることができないという珍しい駅でもある。
また鶴見線は、JRには珍しく人名由来の駅名が多いのも特徴の一つだ。浅野、安善、武蔵白石、大川の各駅が、同線由来の財界人の名から付けられたことは、鉄道ファンには比較的よく知られている。このほか後述するが、廃止となった駅として若尾駅があり、これも財界人の名から取られている。
鶴見線生みの親の名を冠した「浅野」
鶴見線とその沿線の歴史に焦点をあてると、これらの人物の中でも、浅野総一郎(1848~1930年)にちなむ浅野駅が、断トツに格上の駅にその名を冠されるべきことに気づかされる。それぞれの人物に人間関係のドラマが存在し、どの駅にどの人物の名を選んで付けていったのかを考えるのも興味深い。実は浅野駅から安善、武蔵白石、大川と隣り合って並ぶ駅の順番は、総一郎と絆の深い順になっているのである。
まずは浅野総一郎の経歴について見ておこう。富山県出身で、上京して砂糖水売り、竹の皮商から始めて一代で浅野財閥を築きあげた立志伝中の人物である。総一郎は石炭の廃物とされていたコークスを燃料として再利用して販売することに成功する。
彼の運命を決定付けたのが、渋沢栄一との出会いだった。渋沢が代表取締役を務める王子製紙の工場からコークスを引き取ったことが縁となって、総一郎の働きぶりを渋沢が目にとめる。
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