26歳「溶接ギャル」逃げた先に見つけた最高の天職 とび職→自動車整備士→トラック運転手を経て

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自動車板金業の場合、車検に向けた整備もする会社が多いが、粉すけさんは整備には手を出さず、あくまで『外装の修理』『カスタム・デコレーション』のみに特化した会社にした。

その代わり、車種は選ばず、バイク、乗用車、重機、トラックと、エンジンがついているものならなんでもござれ、で受け入れた。

「最初は社屋もなかったんです。会社を始めたとき、知り合いの土建屋からユンボ(パワーショベル)のドアの修理を頼まれました」

ガレージ内部(写真:筆者撮影)

粉すけさんは、ユンボのドアだけを外して、それを軽トラに積み込み、粉すけさんのお婆さんの家に持っていった。

「当時、おばあちゃんの家がでっかい空き地だったんですね。敷地にユンボのドアをおろしてトンチンカンチン直しました」

結局、社屋はあったほうがいいということになり、現在は事務所とガレージのある物件を借りて作業をしている。

ただ、1人でできる仕事量には限界があるので、まだ『勝倉ボデー』の看板は出していない。粉すけさんは人を雇うのには慎重だ。

「人を雇う余裕はないし、人の人生を請け負う自信はないですね。一度雇ってしまったら、『仕事がないから出てこなくていい』とは言えないじゃないですか。よっぽど仕事が増えない限り、人は雇えないと思っています」

ただ1人でやるのには難しい仕事もあった。

トラックのフェンダー(泥除け)を、巨大なバスフェンダーに交換する仕事があった。

最近ではあまり見なくなった、デコトラ改装の仕事だ。

「そもそも1人じゃバスフェンダーを持ち上げられませんでした。ハンドリフトはあるんですけど、微調整が難しいんですよね。結局手が空いていた旦那に手伝ってもらって難を逃れました」

粉すけさんは『勝倉ボデー』をこれからどのような会社にしていきたいと思っているのだろうか?

“逃げ”で始めた仕事だったが

「私はこの仕事を“逃げ”ではじめたんです。だからどこに行き着こうみたいな目的はなかったんですね。

今は、お客さんにはとにかく安くできる方法を提案しています。ディーラーに頼むと新品を取り付けられちゃうけど、うちだったら中古品をつけますよ、とか。割れたガラスの代わりにアクリル板をはめ込みますよ、とかですね」

最近では『溶接ギャル』としてみんなにもてはやされるようになってきた。

女性が板金塗装業をしていることを評価する人、ギャルが好きな人、そして溶接の技術や値段の安さを評価する人から、それぞれ仕事が舞い込んできている。

アパレル会社ガルフィーのモデルとして(写真:ガルフィー提供)

『安全靴の商品開発』

『大手量販店とのコラボ商品開発』

『アパレルブランドのモデル』

など、板金業とは関係のない仕事も増えてきている。

「『いったい自分は何屋なんだろう?』って思うことはあります(笑)。

溶接は好きなので、いずれ溶接に特化していきたいですね。いつか溶接工場が建てられたらいいなと思います。

あと車より好きなものがあって、それは動物なんですよ。今も犬2匹、猫1匹飼ってます。動物がいるなら、貧乏やイジメにも耐えられるなって思います。溶接屋をやりながら、いつか動物園開きたいですね。動物園のおりは、自分で作ることができますしね(笑)」

将来の夢を語る粉すけさんの目は生き生きと輝いていて、とても楽しそうだった。

村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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むらた らむ / Ramu Murata

1972年生まれ。キャリアは20年超。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海などへの潜入取材を得意としている。著書に『ホームレス大博覧会』(鹿砦社)、『ホームレス大図鑑』(竹書房)など。

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