「感動」の裏で忘れられた「コンパクト」東京五輪 5000人対象の調査からわかった日本人の期待
開会式の企画制作の人選を主導したのは、広告代理店と言われる(※4)。たしかに、商業主義のために肥大化したメガイベントを成功させるためには、広告代理店のノウハウが必要不可欠である。
しかし、広告代理店の行動原理やビジネス常識と、オリンピックに求められる理念や国際常識の乖離は非常に大きい。式典に関わる主要人物が問題を起こし去っていったことは必然であった。
経済学では、新型コロナのように人流が増えたときに感染が拡大し周囲へ悪影響を与えることを負の外部性という。個々人が自己責任で自由に意思決定をする市場経済ではこの問題を解決できないために、「市場の失敗」が発生する。これを補正するために政府がワクチン供給などによって集団免疫を作る。
一方で政府にはコスト感覚が欠如しているために、予算の無駄遣いをする。「40年前のオリンピック施設」を利用するはずが、いつの間にか新たに競技場が建設されることになった。しかも、当初は過大な費用がかかるデザインが採用された。世論の批判がなければ、そのまま建設されていたはずだ。
企業と違って政府は市場経済の圧力をうけないために支出が増大し「政府の失敗」をもたらす。パンデミック下で、商業主義から発生する「市場の失敗」と政府の独善から発生する「政府の失敗」の掛け算で、莫大な損失を国民は負うことになる。
さらに厄介なのは、「政府」以上に独占的な権力が存在することである。オリンピックの開催都市契約の契約解除を記した66条では、「IOCは本大会を中止する権利を有する」とある。スポーツ法の早川吉尚立教大学教授によれば、オリンピック開催が中止を日本が切り出せば、IOCが債務不履行として賠償を求める可能性が大きい(※5)。
つまり、中止になれば莫大な賠償金を日本が負担しなければならない。そして、その負担は結局のところ国民の血税から支出されることになる。これを回避するには、日本側はオリンピックを開催するよりほかはない。ホスト国は「不平等契約」をIOCとの間に結ぶことが条件づけられている。
オリンピックの本来の趣旨に立ち返るべき
東京オリンピックを巡る騒動で明らかになったことがある。一旦、オリンピックを招致したならば、後戻りは許されないということである。そこには、民主主義も経済メカニズムも機能しない。東京オリンピックは「商業」オリンピックを招致することのリスクを明らかにした。山口香氏(元JOC理事)は次のように主張する。
「商業的に小さくなっても、オリンピックの趣旨に立ち返り持続可能性を模索すべき」(※6) 。
1964年、2021年と連続して東京オリンピックで聖火ランナーを務めた落語家の三遊亭小遊三師匠によれば「高校のときは粗末なトーチでこんなに立派じゃなかった」(※7) 。また、小遊三師匠は、今回のオリンピックは「プロ」が集結する大会であるのに対して、前回は「アマチュアによる素朴な」大会と感想を述べた(※8)。
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