五輪の後…千葉・一宮町「祭のあと」に残ったもの サーフィン、五輪開催までの道のりは…
サーファーというと、どこか不良っぽかったりチャラいイメージがあったが、最近は少し変わってきているようだ。
前出の鵜沢さんは言う。
「いまでは幼少期からスポーツとして取り組み、コーチやトレーナーをつけて練習する子も少なくありません。次のジェネレーションは、炭酸飲料を飲まないとか食事を気にしたり、フィジカルトレーナーをつけている子もいます。
五輪が事故なく無事に終わったことがなによりですが、“跡地を残せないか”との声も聞きます。プレッシャーがかかる中での大逆転劇を含め、みんなよく頑張ってくれたと思います。代表4人の健闘は大きな財産になるはずです」
9歳の女の子の“短い言葉”
決勝戦の翌日、会場に隣接する海岸へ行くと、五輪の激闘に触発されたのか親子連れのサーファーが目立った。
妻子と海に来ていた男性サーファー(57)に話を聞いた。男性はかつて、カノア選手が生まれ育った米カリフォルニア州のハンティントンビーチで生活していたことがあり、カノア選手が父親と一生懸命に練習する姿を見ていたという。五輪は連日早起きして家族とライブ配信で観戦した。
「カノアくんの銀メダルは日本の誇りじゃないですかね。これで改めてスポーツとして認知されたと思います。サーフィンはいいスポーツなんですよ。自然と触れ合い、健康的だし、親子でできるし」
と男性はにっこり。
そばで聞いていた小学3年の長女(9)は4歳からサーフィンを始め、最初からボードの上に立てたという。長女に五輪サーフィンを見てどんなことを感じたか尋ねると、日焼けした顔でこう言った。
「ああいう感じになりたい」
短い言葉には、確実に思い描ける夢が詰まっていた。
(取材・文/渡辺高嗣)
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