「頑張ることをモットーにする人」が陥る3つの罠 89歳のシスターが伝える「不安を消すヒント」

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過去と未来の時間の中で永遠の迷子になってしまうこと、これが最も強い執着です。「あきらめる(諦める)」とは、この執着を捨てることです。

自分は今「真っ暗なトンネル」の中にいるのだと状況をあきらめ(明らめ)たうえで、自分では変えられないことについてはあきらめて(諦めて)、エネルギーを注ぐのはやめましょう。そして、そこから「最善の道」を選ぶことができればいいですね。

最善の道を探すコツは、目的を思い出すこと。何のためにそうするのかを、あらためて「あきらめる(明らめる)」のです。すると、変えられないことの他に、いろんな選択肢が見えてくるはずです。

理想と現実とのギャップが生むジレンマ

「私は正直なところ、親の介護から逃げたいと願っています。仕事に支障が出てしまうからです。親には申し訳ないけれど、施設に入ってもらおうかと考えています。私は冷たい息子なのでしょうか?」

このような相談をいただいたことがありました。「親の世話をしたい気持ちはあるけれど、自分の時間を削られては困る」というジレンマが透けて見えるようです。とくに男性の場合は、一家の大黒柱であるうえに働き盛りの年代であることが多く、悩ましいものです。

さらに、コロナ禍での感染防止や自粛要請のもと、年老いた親の世話や介護をどうすればよいのか、真面目な人ほど親の気持ちや世間体を考えて、途方に暮れているかもしれません。いったいどうすればいいのでしょうか。

親に介護が必要になったとき、「親にとっても、自分自身にとっても100%の満足はない」、まずそう明らめて(認識して)ください。なぜなら、親子といえども利害が衝突することは必ずあり、双方に100%の「最善の道」が開けていることはめったにないからです。冷たく聞こえるかもしれませんが、「親にも自分にも、ある程度の負担は生じるはず」と最初から諦めて期待をしないことが大切です。

誰だって「つねに最善の道を選びたい」と願うのが人情です。この向上心は成長のために必要な欲求でもあります。けれども、どんなに頑張っている人にも、限界はつきまとうものです。それは、お金や時間に余裕がある人でも同様です。

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