「頑張ることをモットーにする人」が陥る3つの罠 89歳のシスターが伝える「不安を消すヒント」

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お姑さんへのおもてなしが、自分の中でたとえ30%しかできなかったとしても、「なぜ30%しかできなかったのか」と自分の理想に執着しているうちは、苦しくなるばかりです。「一生懸命やったから、これでいい」と思えるようになりましょう。

そして、最も手放すべき執着は、「ほめられたい」という気持ちです。「認められたい」「ほめられたい」という執着は、どんな人にでも死ぬまであります。でも、その執着にこだわりすぎると、いつしか「ほめられること」や「認められること」に依存するようになり、自分自身の本当の気持ちを殺すことになってしまいます。

誰だって、いちどほめられれば「もっとほめられたい」と願うようになります。つまり、「ほめられること」には中毒性があるのです。「ほめられたい」という執着が行動の原動力になることはありますが、その反面、ほめられなかったときの落胆は大きくなり、不幸の引き金となってしまいます。

「ほめられたい」という気持ちを手放して、「みんなが気持ちよく過ごせれば、それでいい」と考え方を切り替えること。そうすればSさんの心には平安が訪れ、笑顔が戻ってくるはすです。その笑顔は、きっと家族みんなの心まで明るくするでしょう。

必要なのは2種類の「あきらめ」

心のありよう次第で、不幸にはしない。それを可能にするのが「あきらめよう」という考え方です。私はこの考えを「聖なるあきらめ」と呼んで、大事にしています。

もともと「あきらめる」には2つの異なる意味があります。ひとつは「諦める」「投げ出す」「執着しない」という意味。そして、もうひとつは「明らめる」と書きます。これは、仏教の言葉で、「物事を明らかにする」「真理に達する」「つまびらかにする」という意味を持ちます。

ケース①のSさんは、お姑さんからほめられたいという気持ちをあきらめて(諦めて)、「家はスッキリきれいにしておいたほうが、みんなが気持ちのいい時間を過ごせる」と、自分にとって何が幸せなのかということをあきらめ(明らめ)ました。

「あきらめる」という言莱には、どうしても否定的な印象を持ってしまうかもしれません。「あきらめるなんて、とんでもない!」と思われる方も多いでしょう。もちろん、単に「断念する」という意味で「あきらめてください」と言っているのではありません。いい意味での「あきらめる」、そんな使い方もあるのです。

頑張りすぎて自分を苦しめる前に、「聖なるあきらめ」で賢くあきらめていきましょう。すると、自分でも気づいていなかったけれど、自分にとって本当に大切だったことが見えるようになってくるのです。

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