スピルバーグが「反Netflix」をやめた納得理由 彼らは「保守的なスタジオ」よりも信頼できる
一体、なぜスピルバーグは考えを変えたのか? ひとつには、コロナが関係しているだろう。日本ではコロナ禍でも映画館が開いていて『鬼滅の刃』のような大ヒットも出たりしたが、ロサンゼルスやニューヨークでは昨年3月から今年3月まで映画館は完全閉館。つまり、アメリカでは丸1年も「劇場用映画」は存在しなかったのである。
劇場で上映したくてもできないのだからやむをえず、あくまで一時的な措置としてアカデミーも2021年のアカデミー賞についてルールを変更し、劇場公開されなかった作品も資格を得られるようにした。コロナをきっかけに「配信と劇場の境目」は以前よりもっと曖昧になったのだ。実際、今年のアカデミー賞では、近年と違って「配信作に作品賞を取らせてはダメだ」というような議論は一切聞かれなかった。
また、公開予定だった映画を延期するのか、それとも製作費を回収するためにほかに売るのかをスタジオが検討する中では、いくつもの映画がNetflixやAmazon、Appleに売り渡されている。アンブリンが制作した『シカゴ7裁判』もそのひとつだ。
今作はパラマウントが劇場公開する予定だったが、コロナの状況を受けて手放すことを決め、競売の結果、Netflixが5600万ドルで買収。Netflixは、そのお宝を大切に扱った。コロナ禍の中でも映画館の経営を許している限られた都市で、当初の公開予定日に公開するなど、劇場での公開を願っていたフィルムメーカーたちに最大限の敬意を払ったし、アワードシーズンには大規模なキャンペーンを展開している。
『ROMA/ローマ』でNetflixがやってみせた金に糸目をつけないキャンペーンは配信批判派の神経を逆撫でしたが、スピルバーグも彼らの恩恵にあずかる側になってみて初めてそのありがたさを実感したのだろう。
「作りたい作品」が作りづらくなった映画界
結果、スピルバーグは彼ほどの権威を持たないフィルムメーカーたちが言っていることを、ようやく理解したのではないかと思われる。
近年メジャースタジオは最初から知名度のある作品、つまりスーパーヒーロー映画やその続編、ゲームやアトラクションを原作とする映画ばかりを作りたがるようになっている。
かつてのような大人向けのドラマや恋愛映画はヒットしてもたかが知れているし、続編製作も難しいので旨味はないとスタジオは考える。だから、そうした作品を作りたいフィルムメーカーたちは、配信サービスやテレビに企画を持っていくようになってきたのだ。
劇場にこだわるならインディーズという道もあるが、資金調達は困難。お金のかかるプロジェクトであれば、有名な監督や俳優が参加していても厳しい。
最高の巨匠であるマーティン・スコセッシですらスタジオから断られた結果、『アイリッシュマン』をNetflixで作っている。
『ゼロ・グラビティ』でアカデミー賞監督賞に輝くキュアロンも、『ROMA/ローマ』をインディーズ作品として作ったが、メキシコ人の無名俳優が出ているモノクロ映画には配給がつかなかった。
そんな彼らにNetflixが手を差し伸べてくれたのだ。もし、どこか小さな配給会社が拾ってくれていたとしても、Netflixのようなアワードキャンペーンはとてもじゃないが無理だっただろうし、それ以前に世界の多くの人は配給がつかなかったせいで見られないままで終わったはずである。
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