私がそう言うと、フミヒロさんは「いや。それは、ほんとにやめといたほうがいいです」と即答した。
よく考えてみてほしいと、フミヒロさんは言う。例えば1日7000円で終日玉を打ち続けた場合、時給換算すると600円を切ってしまう。また月20万円を稼ごうと思ったら29日は“出勤”しなければならない。それに打ち子は1時間おきに回転数や出玉数などを親にLINEで報告するので、慣れないとトイレや食事の時間を取ることもままならない。フミヒロさんの月35万円の稼ぎも、連日18時間近く働いてようやく得られる金額である。
なにより不安定で、いつ収入が途絶えるかわからない“仕事”だという。新型コロナウイルスの感染拡大で昨年4月に緊急事態宣言が発出された際は、ほとんどのパチンコ店が休業。フミヒロさんの収入はゼロに。このときは水道代とガス代を払うことができなくなり、近くの公園でくんだ水を電気ポットで沸かし、カップラーメンで飢えをしのいだ。
実はフミヒロさんは最近、新人の指導方法をめぐってリーダーの親ともめて軍団を離れた。自動的に住まいも追い出されるので、ほどなくホームレス状態になった。昼間は終日マクドナルドで過ごし、夜は路上に出るという暮らしを1カ月ほど経験した後、現在は別の軍団で打ち子をしている。ただし報酬は1日9000円。「収入はかなり落ちました」。
パチプロ歴6年。そろそろ潮時かなと思っている。「ちゃんと就職したい。できれば正社員でと考えています」。
父親は会社員だったが、酒癖が悪かった
フミヒロさんはなぜパチプロになったのか。
フミヒロさんの父親は会社員だったが、とにかく酒癖が悪かったという。「父が物を投げつけて壊したテレビを何度買い替えたかわかりません」。小学生のときに愛想をつかした母親がフミヒロさんを残して家を出た。中学生のときに父親が失業。再就職したものの、子どもながらに家計が苦しくなったことがわかったという。高校中退後は、アルバイトをして貯めたお金で1人暮らしを始めた。以来10年、父親とは一度も連絡を取っていない。
「高校を辞めたのは、勉強についていけなかったから。家を出たのは、このまま父親と暮らしていたら僕のメンタルが死ぬと思ったからです。母に頼んで緊急連絡先になってもらい、家賃3万円のアパートを借りました」
この間、複数の飲食店や雀荘でアルバイトをした。いずれの職場も社会保険はなかった。雀荘では業務のひとつとして賭け麻雀を打つこともあったが、負けた場合はすべて自腹。半月働いた給料が7000円だったこともあったという。
アルバイトは、次第に寝坊による遅刻が続き「出勤しづらくなってブッチして、そのまま辞めてしまいました」。最後は家賃を4カ月ほど滞納した結果、強制退去に。初めての1人暮らしは2年ほどで終わった。
その後は友人の家に身を寄せながらファミレスでアルバイトをしたり、スキー場や温泉街などでリゾート派遣をしたりした。パチプロになったのはちょうど仕事を辞めたタイミングで、知り合いに声をかけられたのがきっかけだったという。
パチプロに“転職”した理由について、それまでに就いたさまざまな非正規労働の劣悪さに嫌気がさしたのかと尋ねると、そうではないという。
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