駅周辺アクセスは「シェアサイクル」で改善できる 震災10年の津波被災地をたどる・福島相双編

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大野からは、再びJR常磐線に乗って北上した。大熊町、双葉町内の公共交通は、2020年3月14日に常磐線富岡―浪江間の運転がようやく再開されたところ。避難住民の帰還を促しはじめ、町の復興に着手した段階だ。論評するにはまだ早い。

新常磐交通の営業エリアは浪江町までで、南相馬市に入ると福島交通がバス路線を持つエリアに入る。ただ、やはり海岸沿いへ向かうバスは、震災以前から廃止が相次いでおり、津波以前に利用客減少が著しかったと見受けられる。貴重な鹿島農協前―烏崎間の系統も朝1本の鹿島行きと午後2本の烏崎行きのみ。完全に通学にしか対応しておらず、旅行者は乗りたくても乗れない。

それだけではなく、鹿島駅前から右田浜、南海老経由舘前を結ぶ系統は、2011年3月12日、つまり震災翌日から長期運休が続いている。南相馬市の資料によると、いずれも大きな浸水被害を出した地域だ。人口が戻っていないのか。先行きは明るくないだろう。津波は海岸から約4km離れた、常磐線の線路付近にまで及んでいる。

旅館街から消えたにぎわい

バスに乗って海沿いを進めない状態であるため、相馬まではJRの普通列車で移動した。相馬営業所―松川浦間のバス路線は今も健在で、比較的運転本数が多い。それでも平日7往復、土曜5往復、日祝日は2往復の運転にすぎない。松川浦は風光明媚な入り江で、観光地として旅館なども建ち並ぶ。けれども、JR相馬駅に近い相馬営業所12時25分発の利用客は買い物帰りの数名と筆者のみ。平日のお昼下がりのローカルバスに乗る層は、どこでもそのようなものだ。

松川浦行きの路線バス(筆者撮影)

松川浦バス停で降りたが、次は2時間後だった。人影も少ない旅館街をひとめぐりしても、にぎわいはまるで感じられない。当てにしていたタクシー会社は廃業していた。震災、原発事故、コロナの影響は三重苦と、実感する。

大地震発生時刻の14時46分は、相馬へ戻るバスの中で迎えた。車窓には更地が広がる。ここも復興はこれからだ。

獺庭行きの路線バス(筆者撮影)

15時に相馬営業所へ戻り、少し躊躇したが、16時05分発の獺庭(おそにわ)行きに乗り込む。数少ない海岸沿いを行く路線であるが、相馬発の運転本数は平日午後に2本(うち1本は学休日運休)にすぎない。そして、終点に着いたところで、相馬行きは翌朝の1本しかない。

先ほど眺めた松川浦を南側からチラッと見て、ひたすら田園地帯をゆく。途中、乗り降りしたのは筆者以外、通勤らしい1人が最初で最後。終点までは約35分。獺庭は内陸へ少し入ったところで、数軒の民家があるだけだった。バスは回送で営業所へ戻ってゆく。筆者は、最寄りのJR鹿島駅まで約5.5kmを1時間かけて歩くしかなかった。

震災や原発事故は大きな被害をもたらした。確かにそれは、地域の衰退に拍車をかけたが、”全滅”に近い海沿いのバス路線の状況こそ、静かに進んでいた人口減少の現れと感じた、東日本大震災10周年の1日であった。

土屋 武之 鉄道ジャーナリスト

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つちや たけゆき / Takeyuki Tsuchiya

1965年生まれ。『鉄道ジャーナル』のルポを毎号担当。震災被害を受けた鉄道の取材も精力的に行う。著書に『鉄道の未来予想図』『きっぷのルール ハンドブック』など。

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