量子コンピューターを知る人が圧倒的に利する訳 膨大な計算処理だけでなく「私とは何か」も解明?

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今、あなたは何かが見えています。何か音が聞こえています。何か匂っているかもしれませんし、何も格別に匂っていないかもしれません。口の中に、何か味がしているかもしれませんし、何も格別に味がしていないかもしれません。

体のどこかが痛かったり、痒かったり、寒かったり、暑かったりしているかもしれません。これも、匂いや味と同様に、何も格別に感じていることはないかもしれません。少なくとも、体のどこかが、何かに触れている感じはきっとしているでしょう。

このように、あなたの体の感覚器官は、外界からの刺激を受けることができます。体は、さらに、お腹が空いたとか、喉が渇いたとか、オシッコがしたいといった、体の内側の刺激も受けることができます。

ただし、体の内側の刺激は、単なる感覚にとどまらず、空いた、とか、乾いた、といった、すでに「意味」が付与されていますね。

勿論同じように、感覚器官が受けた外界からの刺激も、たとえば音だと、「TV の音だ」とか「鈴虫の声だ」とか、たとえば匂いだと、「夕食のカレーの匂いだ」とか、たとえば味だと、「さっきしゃぶったアメの残りだ」とか、たとえば触だと、「握っているマウスだ」といった、何らかの「意味」がすぐに付与されるわけです。

やっているのか、ただ単に観測しているだけか

さて、それら一連の感じ方というのは、あなたが「私が」というふうに主語で表す、意識主体たる「私」が、やっていることなのでしょうか。それとも、ただ単に「観測している」だけなのでしょうか。

続いて、「私の心」のほうにも目を向けてみましょう。

あなたは今、

「村上はいつも面白くねーことを書いているけど、このテーマは、輪をかけて面白くねーな」

という感想が、湧き上がってきているかもしれません。それが原因で、少し不機嫌な気分になりかかっているかもしれません。本を一刻も早く閉じたい衝動に駆られているかもしれません。

逆に、

「村上はいつも面白いことを言うけど、このテーマは今までと毛色が変わってますます面白そうだな」

という感想が、湧き上がってきているかもしれません。それが原因で、少し愉快な気分になりかかっているかもしれません。さらに先へ先へと読み進めたい意欲に駆られているかもしれません。

ここで、「私の体」に注目していったときと同じ疑問が生じます。

ここで「私の心」に生じた思いは、あなたが「私が」というふうに主語で表す、意識主体たる「私」がやっていることなのでしょうか。それとも、ただ単に「観測している」だけなのでしょうか。

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