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宇宙一壊れた「マセラティ」にエールを送る理由 ビトゥルボ生誕40周年、危機を救った立役者

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  • 越湖 信一 PRコンサルタント、EKKO PROJECT代表
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フィアット傘下を経てフェラーリ傘下となったマセラティにとって、このデ・トマソ時代の歴史は取り扱いの難しい問題となった。それまでの文脈とはまったく異なるビトゥルボというモデルの立ち位置、そして後半に発生したさまざまなトラブル……。

デ・トマソ期は暗黒の時代として闇に葬られ、ビトゥルボ系がマセラティのヒストリーのメインストリートに立つことは極めて稀となった。

根強いビトゥルボ熱を持つ日本人たち

そのような、この時代を切り捨てた現在のマーケティング戦略をたてるのは無理もないことかもしれない。しかし、そういった流れの一方で、世界にはビトゥルボに対する根強いファンが多数存在し、彼らが今も“ビトゥルボ愛”を語り続けているのもまた事実である。

生誕40周年を迎えて多くのイベントが企画されているし、後述するようにビトゥルボが多数生息する日本は、世界のマニア憧れの国でもある。

ビトゥルボの販売低迷は、さまざまな不運が重なったとしか言いようがない。そもそも1980年代は、全世界的に自動車の品質問題が取り沙汰された時期でもあった。

モデナの本社工場に並ぶビトゥルボ(写真:ガレーヂ伊太利屋)

また、アメリカにおける環境と安全への規制の急激な強化によって、多くのヨーロッパ車の正規輸出が途絶えた。マセラティも触媒の過熱を原因とする火災事故のために厳しいリコール対応が要求され、これがアメリカ市場からの撤退の引き金となった。

しかし、品質問題はマセラティに限ったことではなく、それはその時期、日本車が海外市場におけるシェアを飛躍的に広げたことの裏返しでもある。

筆者としては、ビトゥルボがあまりにフツウの(外観を備えた)クルマに見えたことが不幸な結果を招く結果となったと考えている。

ビトゥルボは、当時としてはかなりのハイパフォーマンスモデルで、それなりに微妙な調整や頻繁なメンテナンスを必要とする“通向けのモデル”であったから、特にラフな扱いをされがちなアメリカでは悲劇を招いた。

チョークをコントロールしてキャブレターのご機嫌を取ったり、ターボのアフターアイドルをしたりといった作業が必要とされるクルマは、“フツウのアメリカ人”にとっては宇宙船のようなものであっただろう。

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