「期待なし」が巨大ビルへ、名古屋駅の大発展史

明治の鉄道黎明期にも「名古屋飛ばし」計画が

1889年に東海道本線が全通すると、東京―神戸間を直通する列車も運行されるようになる。東西の往来が盛んになったことで名古屋駅も活況を呈したが、その矢先に濃尾地震が発生。濃尾地震は名古屋市内だけでも全壊家屋1300、死者190人を出す大惨事となる。濃尾地震によって名古屋駅も倒壊したが、翌年には駅舎が再建された。早急に再建された点からも、政府が名古屋、そして名古屋駅を重要視したことが伝わるだろう。

濃尾地震は、特に行政関係者や建築関係者、鉄道関係者に大きな衝撃を与えた。なぜなら、地震で被害が著しかった建築物の多くがレンガ造だったからだ。

明治期、文明開化の象徴でもあり、それまでの木造家屋よりも耐震性・耐火性に優れているとされていたレンガは公共建築・駅舎・橋梁などに多用された。鉄道関連でもレンガに頼る建築物・建造物は多く、地震という弱点が明らかになれば、多くの鉄道関連施設をつくり直さなければならなくなる。

政府は有識者による震災予防調査会を設置。調査会は被害状況を調査するとともに、今後に活かすべく、レンガ造建築物の耐震実験にも取り組んだ。奇しくも、建築物の耐震実験は後に東京駅を赤レンガで設計する辰野金吾が担当。辰野の実験結果は調査会に報告されることはなく、うやむやに終わっている。

ちなみに、1923年に発生した関東大震災では、同じレンガ造の万世橋駅は焼失。東京駅は多少の損傷で済み、その後の火事でも焼失していない。

短命だったターミナル「愛知駅」

震災の教訓から、名古屋ではレンガ造の大規模建築物の建設は凍結される。だが、1898年に私鉄の関西鉄道(JR関西本線などの前身)が名古屋へと延伸すると、関西鉄道は辰野の一番弟子だった長野宇平治に同鉄道の名古屋側ターミナル、愛知駅(現在は廃止)の設計を依頼した。

長野は後に銀行建築の名手として名を馳せる建築界の逸材で、辰野の薫陶を受けただけあって建築物に石造・レンガ造を多用した。関西鉄道は官営の東海道本線と名古屋駅で接続していたものの、名古屋―大阪間でライバル関係にあった。関西鉄道にとって官営鉄道との競争に勝つことは至上命題であり、そのためには名古屋駅よりも愛知駅に力を入れる必要があった。関西鉄道は愛知駅をターミナルとして発展させることを目的に、長野にデザインを依頼した。

長野がデザインした愛知駅は洋風駅舎として注目を集めた。しかし、関西鉄道は1907年に国有化。愛知駅は名古屋駅から距離が近いことを理由に廃止になる。短命で幕を閉じた愛知駅舎だったが、1913年に3代目の岐阜駅舎として移築・再利用された。

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