夜行列車の終点、「大垣」が築いた独自の存在感

知名度は高いが下車した旅人は多くない?

大垣駅南口の駅ビル。従来からの市街地は南口側に広がる(筆者撮影)

2009年3月、東京駅―大垣駅間を走る夜行列車「ムーンライトながら」が定期列車としての運行を終えた。現在は、春季・夏季・冬季の青春18きっぷシーズンを中心に臨時列車として運行されている。

「ムーンライトながら」は、夜行ながら快速列車のために特別料金が不要。青春18きっぷでも乗車が可能なため、「18きっぱー」に重宝されている。

東京駅を出発した「ムーンライトながら」は、早朝に大垣駅へ到着。その後、すぐに米原方面の列車に接続する。短時間の乗り継ぎのためにそこまで乗ってきた利用者たちが座席を確保したいという気持ちから、われ先にと言わんばかりにホームを駆け出す。「ムーンライトながら」の到着直後は「大垣ダッシュ」と通称される座席確保争奪戦が恒例になっている。

そうした点で大垣駅は、鉄道ファンの間で高い知名度を誇る。しかし、その知名度に反して下車した経験のある鉄道ファンは決して多くない。

なぜ鉄道の要衝になった?

岐阜県大垣市は、誰もが知る天下分け目の決戦地、関ケ原に隣接している。関ケ原は鉄道にとっても要所で、東海道本線の大垣駅―関ケ原駅間は最大25パーミル(1000m進むたびに25m登る)の急勾配がある難所だった。

大垣駅南口にある広場には車輪が展示され、鉄道の街を感じさせる(筆者撮影)

電化された現在ならこれぐらいの勾配は苦にならないが、蒸気機関車が牽引する当時は、運行のネックだった。この急勾配区間を越えるため、下り(大阪方面行き)列車は大垣駅で補助機関車(補機)を連結しなければならなかった。そうした事情から、1884年に大垣駅の隣接地に車両基地が開設される。

その車両基地開設の経緯は、大垣にとっては「棚からぼたもち」といえる出来事だった。

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