湘南に「エッジの立った介護施設」集まるなぜ クリエイティブな介護事業者生む土壌とは

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2000年の介護保険制度以前にこうした活動が同時多発的に生まれた背景の1つには藤沢市の1972年から1996年にかけて6期続いた革新市政が影響しているという声がある。

「文化都市を標榜し、日本初の市民オペラ『藤沢市民オペラ』をスタートさせるなど独自色の強かった葉山峻市長の時代、藤沢市には文化人が集まっており、市民が行政に意見を言うのは当たり前という意識があったと聞いたことがあります」と加藤氏は語る。モノを言うだけにとどまらず、自ら動く市民もいたのである。

もう少し歴史をさかのぼると、湘南エリアは明治期に日本初の別荘地として開発された地域であり、大正期以降皇族や政治家、学者、文化人が暮らしてきた。戦後は住めなくなった都心の邸宅から湘南の別荘に居を移した人もおり、そうした知識や経済的な余裕のある人たちが自分たちの生活をより良くするためにまちに関わってきたと考えると、先進的な試みが多く生まれてきたこともわかる気がする。

震災きっかけに事業者が集まるように

もう1つ、その動きを加速させたものがある。東日本大震災だ。被災地でのボランティア活動を通じて知り合った人たちが始めた集まり、「きずなの会」と呼ぶ組織が地域の多業種をつなげ、そこで学びあう経験がそれぞれの事業者を変化させたのである。その好例が加藤氏のやり方が世に知られるようになったことで起きた介護業界の変化だろう。

「きずなの会には介護、医療の世界の人だけでなく、住宅メーカーのセールスマン、中古車販売店、産廃事業者と多様な人が集まりました。そこでたんに飲むだけでなく、自分のやっていることをプレゼンしようということになり、初回話をしたことがきっかけで見学者が増え、あっという間にメディアにも取材されるようになりました」と加藤氏は話す。

加藤氏がきずなの会のプレゼンで、あおいけあで行っていることや、その結果について話すと、それに驚いた人たちが情報を発信し、それを受けて従来とは違うやり方があると気がついた人が多くいた。

今では湘南エリアのみならず、日本全国はおろか、海外にもあおいけあを目標とする事業所が多くあり、加藤氏は、コロナ禍以前は年間120回に及ぶ講演をこなし、海外からも毎週のように視察を受け入れていたという。近隣の施設で働いていた人があおいけあに転職し、経験を積んでから独立する例もあり、あおいけあからは人材も輩出している。交流が業界に大きなインパクトを与えたのである。

きずなの会では加藤氏だけでなく、さまざまな人がプレゼンをする。参加者は他事業所や事業分野の仕事を知り、問題を共有することで視野を広げ、ネットワークを構築すると同時に、自分の仕事を見直すことができる。その中から新しい試みが生まれてくるのは当然かもしれない。

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