(中国編・第九話)公共外交

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反日デモが中国国内で広がる、日中関係の最悪な時期に日本の非営利組織によって、この民間対話が生まれた。その時、私は「政府が機能していないときになぜ民間が動かないのか、民間でも外交を担うことができるはずだ」と、主張し続けていた。
正直に言えば、そうは言ったものの、民間の外交というものが、どうすれば実現するものなのか、その答えを私自身しっかりとつかんでいたわけではない。
しかし、「東京-北京フォーラム」の立ち上げからわずか一年後、その決定的な民間外交の舞台が、眼の前で繰り広げられたのである。

日中両国は、政治問題を経済関係に影響させてはならず、「政治」と「経済」の二つの車輪がそれぞれ力強く作動し、それが結果として日中関係を更に高度の次元に高めていくような関係を構築していかなければならない」と安倍さん。(当時内閣官房長官)
日中両国は、政治問題を経済関係に影響させてはならず、「政治」と「経済」の二つの車輪がそれぞれ力強く作動し、
それが結果として日中関係を更に高度の次元に高めていくような関係を構築していかなければならない」と安倍さん。
(当時内閣官房長官)

もちろん、こうした舞台が私だけの力で作られたわけではない。それを生み出したのは多くの参加者との協働だった、と私は思っている。
とりわけ、このフォーラムの二ヶ月後に迫った2006年9月の小泉政権の交代が日中関係改善に動き出す"ラストチャンス"との思いが、参加者の中に広がっていた。さらにフォーラム自体が、本音ベースの対話の舞台を作るという、両国の有識者による自発的で手作りの協働に支えられていた。

フォーラムは50人近い一般のボランティアによって運営されたが、安倍氏の発言の実現も含め、この東京で行われた議論の準備のためにこの国を代表する多くの有識者に力を貸していただいた。しかもその輪は一年目よりも確実に広がっている。
対話に参加した日本側の有識者は、政治家や学者、経済人、ジャーナリストを含め50人に膨らみ、中国からも閣僚級の5人を含む30人が参加した。中国側の有識者もまたこの対話を成功させるために、8月という特別な時期に資金を自ら負担し参加したのである。
ミッションを軸に多くの人が協働する。それこそが、非営利組織の役割や機能だと私は考えている。そうした非営利の試みが国境を越えてつながったのである。

この点で私が最も共感したのは、この日の分科会で当時の中川秀直自民党幹事長が行った基調報告だった。
民間の交流こそが新しいアジアの価値を作り出す、国家の役割はそのためのインフラ作りに過ぎず、もはや国家が盟主を争うという時代ではない、という氏の主張は、私たちが進める民間対話が目指す同じ方向感を持っている。
問題は、中国という社会でこうした民間の試みが、どうこれから化学反応を起こし、進化するのか、である。このフォーラムで中国側が使ったのは「公共外交」という言葉である。政府間外交とは異なり、民間の交流とも違う。その中間にあるのが、この「公共外交」なのだと言う。
民間の対話の舞台から、外交が動くという出来事は政府が全てを決めてきた中国では多分、考えられないことなのだと思う。だからこそ、新しい民間外交の可能性を認めたものだと私は考える。
民間対話はこの日のたった一日で、日中関係の改善だけではなく、新しい民間交流の価値を明らかにし始めた。
その変化に全くついてこれなかったのが、日本のメディアだった。
  (毎週更新予定)    
工藤泰志

工藤泰志(くどう・やすし)

言論NPO代表。
1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。
東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。
言論NPOとは
アドボカシー型の認定NPO法人。国の政策評価北京−東京フォーラムなどを開催。インターネットを主体に多様な言論活動を行う。
各界のオピニオンリーダーなど500人が参加している。

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