資本主義の語を使わなかった「資本主義の父」 100年前からSDGsとCSVを説き続けた渋沢栄一

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渋沢の合本会社は、株式会社と形式は同じですが、違う点は、会社の事業の目的は、公益を追求することでした。さらに身分や地位にかかわりなく、やる気のある人なら誰でも合本主義に基づき、経済活動を行うことができ、その成果を独り占めにしようとするような財閥を作ることはありませんでした。

官尊民卑の打破をライフワークに

明治時代の初期、三菱、住友、あるいは、海外のほとんどの企業家が、ライバルとの戦いを制して寡占、独占をめざし、私益を最大限に増やそうとする行動とは、渋沢の合本会社は異なっていました。

合本主義を実行するためには、民主化された社会が必要でした。1866~68年に幕臣としてフランスに滞在していたときに渋沢は、人民が身分の上下なく平等に政治や経済に参加し、その智識に基づいて意見を述べることができることに感銘を受けました。

日本では士農工商という身分制度があり、商人が国の政治経済に関して論ずることはほとんどありませんでした。ところがヨーロッパでは、金融業者が軍人と対等に、国王に対して経済政策のアドバイスをしている。

商工業者の地位と官吏もしくは軍人との関係が日本とは全く相違していることは驚きであり、これを学ばなければ真の商工業はできないと確信を持ちました。そのためにはヨーロッパ社会のように実業家の地位が高くなければならないと考えたわけです。

そのことは「官尊民卑」の打破という渋沢が生涯を通じての目標を達成するために必要不可欠でした。渋沢はもともとは武士ではなく、埼玉県深谷の富農の出身でした。

青年時代、渋沢は父親の名代として代官所に呼び出されたとき、代官から藩主の姫様が輿入れするので、お祝い金として500両を供出するように要請されました。渋沢は理不尽な要求に腹を立て、首を縦に振りません。

帰宅して報告すると、父の市郎右衛門はすぐに代官の要請を引き受け、お金を準備しましたが、栄一は納得できませんでした。見識のない役人の横暴をなんとかして打ち負かすためには、「民」自らが主導権を握らなければならないと考え始めたのです。

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